今は山中 今は浜
「今は山中 今は浜♪」と歌う「汽車」という題名の文部省唱歌がありますが、昨日の八ヶ岳薪能から一転して、今日は熱海で舞台がありました。
電車で移動するだけで、上の唱歌のように車窓からの景色が移ろって楽しいものです。
能においても、旅の情景を謡う「道行」という部分があります。
一番多いのが、ワキが曲の冒頭に謡う道行です。
しかしシテが謡う道行や、「蟬丸道行」のように地謡が謡ってシテが舞うものなど、幾つかバリエーションがあります。
それらの中でも私が特に好きな道行があります。
能「安宅」で義経とその家来達が、11人の山伏姿になって、都から北国を目指す時の情景を謡った道行です。
この道行、シテ弁慶とツレ同行山伏が全員で謡うのですが、シテがわずかに動く以外は、全員その場を全く動かずに謡います。
しかしながら、スピードの緩急と調子の強弱の変化だけで、如月十日の夜に花の都を忍び出て、加賀の国・安宅の関に到着するまでの苦難の道程を実に生き生きと謡い上げるのです。
あるシーンでは、引いたアングルから撮影した映像のように、琵琶湖沿いを点のようになって移動する一行が見えます。
またあるシーンでは、山中の急ぐ山伏達の荒い息遣いが間近く聞こえるような錯覚を覚えます。
また完全に個人的な話なのですが、「海津の浦では昔、京大宝生会が合宿をしたなあ」
「板取の辺りは、京大林学科の研究室の調査で古い石畳道を歩いたっけ」
「三国港近くの民宿で食べた蟹は絶品だった」などと、私の行った事のある場所が沢山出てくるのも、実は好きな理由のひとつなのです。
謡を習っている方は、道行で知った地名が出てくると、ちょっと嬉しくなった経験があるのではないでしょうか?
そして、少し先の話ですが、今年10月22日の宝生流秋の別会で家元が能「安宅」を「延年之舞」という小書付で舞われます。
私もツレ同行山伏の1人として出演させていただきます。
冒頭の道行から始まって、見せ場連続の能「安宅」。
どうか沢山の方々に御覧いただきたいと存じます。