来殿の装束
今日は水道橋の五雲会にて能「来殿」の地謡を謡って参りました。
「来殿」は宝生流以外では「雷電」と称されています。
加賀前田家に配慮した曲名と演出である、というお話は有名なので、今回はちょっと違う切り口で書きたいと思います。
内弟子の頃に「来殿」と聞くと、「ああ、中入が大変だなあ」と思いました。
「来殿」の後シテの装束付けは「雷電」後シテと比べてかなり手間がかかるのです。
指貫を履いて単狩衣を纏うという高貴な男性の出立で、「融」や「須磨源氏」と同じ格好です。これは数ある装束付けの中でも最も時間のかかるものの一つです。
ところが間狂言は「雷電」と同じ内容で、比較的短いものなのです。
という事は中入の楽屋は戦場か、或いはF1のピットインのような慌しさになってしまうのです。
今日も地謡座で間狂言を聞きながら、「もう終わりなのか、短いなあ。装束付け間に合うかなあ。」と思っていました。
しかし後シテは出羽の囃子に乗って、何事も無く雅やかに登場しました。
一曲を無事謡い終わって楽屋に帰り、仲間に「中入装束どうだった?」と聞くと「全然余裕だったよ。」との答えが返って来ました。
装束を付けた人が手練れだったのでしょう。
楽屋の事は出来て当たり前なので決してクローズアップされませんが、一曲の舞台を無事に終わらせる為に、楽屋でも日々また別のドラマが繰り広げられているのです。