「足疾鬼」と「韋駄天」の速度差

私が京大の頃に最初に入手して乗っていた車は、元は農学部林学科の実験に使われていた車でした。

三菱のミニキャブという4速マニュアル軽ワゴン車で、アクセルをベタ踏みしても最高時速80キロが精一杯という代物でした。

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この車で高速道路に上がって、調子に乗って追い越し車線を走っていた時のこと。

我がミニキャブはベタ踏みの80キロで、それでも賑やかなエンジン音や振動などで物凄いスピード感を感じていました。

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その時、バックミラーに黒い点が写ったかと思うと見る見る大きくなり、あっという間にミニキャブの真後ろに大きな黒い外車が張り付いて来たのです。

慌てて走行車線に移ると、外車は更にスピードを増して一瞬でミニキャブを追い越して行き、忽ちまた黒い点になってしまったのでした。

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…唐突に車の話を書きましたが、これも今日の舞台に関係があるのです。

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今日は大阪の大槻能楽堂にて高校生鑑賞能に出演して参りました。

番組は能「舎利」で、私は地謡を勤めました。

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前半で「仏舎利」をまんまと奪い取ったシテの「足疾鬼」が、後半の冒頭に「出羽」というお囃子に乗って登場します。

出羽はゆったりしたリズムの囃子ですが、これは後シテ「足疾鬼」が遥か上空の宇宙空間を高速で飛行している事を表しています。

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ところが「足疾鬼」がゆっくりと舞台中央まで進んだ所で急に囃子が「早笛」という非常に速いリズムのものに変わり、今度は「足疾鬼」よりも更に早く飛行するツレ「韋駄天」が後シテを追いかけて登場するのです。

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この「出羽」から「早笛」へのスピードの変化は、出羽は遠くから見た景色を表し、スピードアップした早笛では視点が近くに寄ったことを表すと聞いたことがあります。

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しかし今日の「舎利」を観て私が感じた印象は、それとはちょっと異なっているのです。

そこそこ高速で飛行している「足疾鬼」を、更に圧倒的な高速で追いかけて来る「韋駄天」。

そのスピードの違いを2種類の囃子で表現しているのではないでしょうか?

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そのイメージが、冒頭に書いたミニキャブを追いかける黒い外車のイメージとぴったり符合している気がして、上手いこと速度差を表現するものだと感心したのです。

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…とは言え以前にも書きましたが、能楽が作られたのは自動車や飛行機など存在しない筈の室町時代です。

その時代に、「高速移動する2つの飛行物体の速度差を囃子の変化で表現する」などと言う芸当が何故可能だったのか、これもまた深い謎だと地謡を謡いながら思ったのでした。

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