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ひろしま平和能楽祭

昨日は香里園で七宝会がありましたが、今日は広島に移動して「ひろしま平和能楽祭」に出演いたしました。

広島は母親の家族が原爆で亡くなった場所です。

一度きちんとその辺りの町を訪ねておきたいと思いながら、なかなか時間が無く、広島に来るのは5〜6年に一度のこの「ひろしま平和能楽祭」だけになってしまっております。

今回は6年ぶりの広島でしたが、広島駅を始めとして街が新しくなっていて驚きました。

高級高層マンションがいくつも建ち並び、前回よりも街に活気があるように見受けられます。

車で会場のアステールプラザ能楽堂に向かう途中に平和公園の横を通り、原爆ドームが遠くに見えました。

あそこから程近い場所に、母とその家族の暮らしがあったのです。

色の褪せた写真でしか見たことのない祖父母、叔父叔母達は、もちろん子孫の一人が能楽師になっているなどとは思いもよらないことでしょう。

しかし能楽師としてこの広島で仕事を頂戴し、しかもそれが「平和」を祈る舞台だというのもまた何かの御縁だと思います。

今日は能「井筒」の後見と、能「鵜飼」の地謡を、母の家族と原爆で亡くなられた方々への鎮魂の心を込めて精一杯勤めさせていただきました。

バタバタと過ぎるばかりの生活ですが、次の平和能楽祭を待たずに、何とか広島の街を改めて訪ねてみたいと思っております。

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  1. なんと無念であらせられましたことでしょう。それでも御母堂様は生き抜いてこられて、だから澤田先生がおられて、そして、広島の空の下に立っておられたのですね…。

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