いつまでとてか しのぶやま

先週、登山靴とザックの試運転で福島県の「信夫山」に行ってまいりました。

山を選んだ基準は、

「雨が降っていない山」

「駅から登山口へのアプローチが容易な山」

「東京から日帰りできる山」

というもので、

「能に関わりがある山」

という要素は全く考えておりませんでした。

そして東北新幹線の福島駅からほど近い「信夫山」に決めた訳です。

しかし、「信夫山」を登っている途中で何故か頭の中に

「いつまでとてか忍ぶ山 忍ぶ甲斐なき世の人の…」

という謡が浮かんで来ました。

何の曲だったかな…と少し考えて、能「藤戸」の初同(最初の地謡)だったと思い出しました。

とは言え「忍ぶ山」と「信夫山」は字が違います。

おそらく違う土地に「忍ぶ山」があるのだろうと思いながらも、登山の間中ぐるぐると「いつまでとてか忍ぶ山…」

という謡が脳内を回っておりました。

そして帰宅してから

「いつまでとてか しのぶやま」

という語句で念のため検索してみたのです。

結果は驚くべきものでした。

「いつまでとてか しのぶやま」

は紀貫之の和歌の一節で、陸奥の「信夫山」を詠んだものだというのです。

更に調べると、「信夫山」は90首もの和歌に詠まれた有名な歌枕だったようです。

不勉強で全く知りませんでした。。

またあの源融の和歌

「陸奥の しのぶもぢずり誰故に…」

は、信夫山がある辺りの「信夫」という地名を詠んだものだそうです。

もっと調べると、能「錦木」の冒頭のワキの次第に「信夫山」そのものが謡われておりました。

能楽とは全然関わりの無い基準で選んだ山が、結果的に能に最も縁の深い山のひとつだった訳です。

知っていて登れば、何か能楽と関わる史跡などが見つかったかもしれません。

いつか是非とも「信夫山」を再訪したいと思います。