藤原清貫という人物
私は現在、能「雷電」の地謡を覚えるのに必死になっています。
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この曲は宝生流では「来殿」という曲名に変わって、後半の謡が全く違うものになっているのです。
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長らく演じられていなかった宝生流の「雷電」ですが数年前に復曲されて、今回は11月24日に熱海のMOA能楽堂で辰巳満次郎師によって演じられます。
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前半の地謡は「来殿」と同じですが、後半の「雷電」部分の地謡は馴染みが無いので、中々覚えられずにいます。
そこで「雷電」という曲の元になったという
「清涼殿落雷事件」
について調べてみることにしました。
何か覚えるための手掛かりになるかと思ったのです。
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「清涼殿落雷事件」とは、
延長8年(西暦930年)6月26日に内裏の清涼殿と紫宸殿を激しい落雷が襲い、死者5名、重傷者4名という宮中においては未曾有の大惨事になった出来事です。
中でも清涼殿の中に居ながら雷の直撃を受けて即死したという、最も悲惨な犠牲者の名前を見て私は驚愕しました。
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「藤原清貫」
…実はこの人物、能「蝉丸」でワキとして登場するのです。
帝の密命を受けて、第四皇子である「蝉丸」を逢坂山に連れて行き、出家させて捨て置いてくるという役柄です。
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そして清涼殿落雷事件をさらに調べると、この「藤原清貫」は太宰府に左遷された「菅原道真」の動向監視をせよという”密命”を藤原時平より受けていたようなのです。
その為に菅原道真の強い恨みを買い、怨霊となった道真による雷撃で殺された、という噂が広まったそうです。
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様々な秘命を受けて、宮中の闇の中の仕事をする男…
などと考えると、「藤原清貫」を主人公にした小説が書けそうな気にもなってきます。
清貫の他のエピソードや人物像などの資料があるかどうか、また探してみたいと思います。
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というわけで、「雷電」を覚える手掛かりを探した結果、思わぬ人物に辿り着きました。
「雷電」の背景も少しわかったので、先ずは頑張って地謡を覚えようと思います。
藤原清貫のことをさらに調べるのはその後で。