能「熊野」の道行その2
能「熊野」の宗盛邸から清水寺への道行、後半は松原橋を渡ったところからスタートです。
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橋を渡って少し歩くと、六波羅のあたりに「地蔵堂」がありました。
ここは弘法大師が自作のお地蔵様を納めたという「子育地蔵尊」の御堂です。
この辺りが現世と冥界の境である「六道之辻」であり、お盆に帰る精霊は必ずここを通ったと言われているそうです。
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更に清水寺方面に目を移すと…
「清水薬局」や「六波羅飯店」の看板が見えました。
こういう地域性あふれるネーミングは何か嬉しくなってしまいます。
しかも六波羅飯店には…
名物「六波羅丼」が…!
写真を見た限りでは、中華丼の豚肉を鳥唐揚げに変えた丼のように見えますが…
その日は満腹だったので、実食しての確認はまたの機会に。
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この辺りから東山に向かって、松原通は徐々に登り坂がきつくなっていきます。
その坂の途中にはインパクトのあるお寺が。
大迫力の閻魔大王様の像で有名な「六道珍皇寺」です。
またこのお寺の境内には、なんと冥界に通じているという井戸があります。
拝観者は井戸の近くには行けず、建物の格子戸越しに遠く拝見いたしました。
この井戸を使って、小野篁が冥土に通って閻魔大王様に仕えていたとか。
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六道珍皇寺を過ぎると程なく東山通を渡り、「清水道」へと入っていきます。
東山通から先は急に人が増えました。
歩くのにちょっと苦労する感じです。
そして聞こえてくる会話はほとんどが外国語でした。
こちらは聖徳太子ゆかりの「経書堂」です。
ちなみにこの写真の中に日本人は何人いるでしょうか?
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答えは0人です。
この界隈では、和服を着ている人はほぼ全員が外国人で、洋服を着ている人の1割くらいが日本人というように見えました。
まわりは寺院や着物の人で溢れているのに、外国語ばかりが飛び交って、まるで異世界を旅しているような実に奇妙な気分です。
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そして遂に最終目的地「清水寺」に到着いたしました。門前は外国人観光客で溢れています。
あとは「熊野」の当時にはこの辺にあったという「子安の塔」の跡の碑を確認すれば道行は終わりです。
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しかしその碑が中々見つかりません…。
しばしうろうろして探すと、
建物の影にひっそりと立つ石碑をようやく見つけました。
周りの外国人観光客達は清水寺をバックに、華やかな自撮り写真や自撮り動画を撮影していましたが、私だけがこの目立たない石碑を興奮気味に撮影してちょっと怪訝な目で見られてしまったのでした。。
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しかし、真冬の閑散期の月曜日にしてこの混みようです。
もし熊野の一行が、現代の桜が満開の時期に牛車でここを訪れていたとしたら…
おそらく清水寺に到達するのは全く不可能で、熊野はますます不機嫌になってしまった事でしょう。。