能「熊野」の道行その1

昨日の大山崎新年会の後、夕方まで少し時間が空きました。

そこで京都市内でかねてから歩きたいと思っていたコースを散策する事にいたしました。

能「熊野」で平宗盛と熊野の一行が牛車に乗って”宗盛邸”から”清水寺”に向かった道行コースです。

平宗盛邸は、現在の京都駅八条口の少し東側にあったようです。

おそらく下の写真の辺り、「竹田街道八条」の交差点付近だと思われます。

頭上には新幹線、近くには「変なホテル」などが見えます。

この地点から清水寺への道行をスタートしました。

JR在来線の陸橋を北に渡ると、行列のできるラーメン屋「第一旭」「新福菜館」の本店が並んでいる横を通過します。

月曜午後なのに今日もやはり行列が。。

京都タワーもチラッと見えました。

そのまま道なりに北上すると…

「渉成園」に突き当たりました。

能「融」で、シテ源融が庭に陸奥塩竈の景色を再現したという「六条河原院」があった所です。

しかし融大臣の没年は895年、平宗盛が1185年没なので、300年もの隔たりがあります。

「熊野」の頃にはこの場所も名所旧跡のひとつとなっていたのでしょう。

.

更に北上すると、現在の「五条大橋」があり、能「橋弁慶」の弁慶と牛若丸の戦いの像なども立っています。

しかし実はこの現在の「五条通」は豊臣秀吉が作ったもので、熊野の頃には現在の「松原通」が五条通だったのです。

その元々は五条大橋であった「松原橋」がこちらです。

だいぶ小さな橋ですが、この橋を熊野一行が渡ったはずです。

松原橋から北を望むと、遠くに四条大橋が見えました。

♪四条五条の橋の上〜と小声で口ずさみながら、河原おもてを過ぎて六波羅方面へと進んでいきます。

この辺までは人も少な目で快適な散歩コースでした。

六波羅〜清水寺まではまた明日に。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です