田んぼの白い鳥

先週文化庁巡回公演で山形県の酒田に行って参りました。

今年2月に続いての2回目の酒田です。

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宿から会場の小学校に向かう途中、バスの車窓から雪と雲を頂く「鳥海山」が美しく見えました。

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雄大だなあと見惚れていると、その手前の水田に白い鳥がたくさんいる事に気づきました。

写真右下の白い点々がそれです。

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最初は鷺の仲間、おそらくチュウサギかコサギだろうかと思いました。

しかしよくよく見ると、サギにしては大きすぎます。

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太った身体に長い首、嘴もサギより太めに見えます。

拡大した画像です。

ボヤけて判りづらいですが、中央上部の個体のシルエットからも、これは「白鳥」だと思われました。

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私はこれまで固定観念で、「白鳥は湖にいる」と思っていたのです。

田んぼにいる白鳥…?と不思議に思いました。

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しかしちょっと調べてみると、シベリアから越冬のために飛来した白鳥達は、水田で落穂を食べる習性があるそうです。

そしてこの庄内平野でもその光景は普通に見られるという事でした。

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それでも何やらすごい新発見をしたような嬉しい気持ちになって、巡回公演の能「黒塚」に臨めたのでした。

今回の公演後の質問コーナーでは、

「ワキの山伏は腰に刀を差しているのに、何故その刀で鬼女と戦わなかったのですか?」という鋭い質問が出ました。

するとシテを演じた楽師が、

「ワキは鬼女に改心して貰いたかったから、怪我をさせないように祈りの力で戦ったのだと思います」

という素晴らしい回答をして、楽屋の皆で感心しました。

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酒田という街は、下の写真のような庄内米の古くて巨大な米蔵が残っていたり、

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“北前船”で財を成した豪商の旧家があったりと、歴史を感じる美しい街でした。

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滞在中ずっと雨模様でしたが、時たま雲が切れると空には虹がかかりました。

今回の巡回公演も素晴らしい経験になりました。関係者の皆様に心より感謝申し上げます。

阿漕の平治が獲った「やがら」

昨年夏に「いとうせいこうの能楽紀行」のための取材で阿漕ヶ浦の「阿漕塚記念館」という資料館に行きました。

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そこで、実は能「阿漕」のシテは母親の病気を治すために密漁をしていたこと、また密漁で獲った魚が「やがら」という名前であることを知りました。

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下は「阿漕塚記念館」にあった説明書きです。

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そして先日、私は思いがけずその「やがら」と初対面を果たしたのです。

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今週月曜日のこと。

私は午前中に大山崎稽古を終えて、午後の亀岡稽古の前に昼ごはんを食べようと思いました。

場所はJR二条駅近くの「三条通商店街」、目当てのお店は海鮮料理の「あみたつ」というところです。

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「あみたつ」は店内に鮮魚がたくさん並んでいます。

その日私が店に入ると、変わった魚が目に入りました。

近寄ってみると…

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なんと「ヤガラ」と書いてあります。

そして大きい!

80cmはありそうです。

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これは何としても食べてみなければ!

早速「ヤガラ」の刺身を注文して定食にしてもらいました。

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するとなんと刺身には長〜い頭がついて出てきました!

割り箸と比較すると大きさがわかるかと思います。

店内のお客さん達が「おお…」と驚きの目で見ています。

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刺身は白身で、淡白で上品な美味でした。

“阿漕の平治”はこの魚を獲ったために海に沈められてしまったのか。そして母親はこの魚を食べて病気を治すことができたのか…

と考えると、なんだか神妙な気持ちになりました。

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しかしそれにしても「やがら」は本当に美味しく、思わず定食のご飯をおかわりしてしまい、大満腹大満足で亀岡稽古に向かったのでした。

またどこかで「やがら」に出会ったら必ず食べたいと思います。

蝉丸ゆかりの神社を訪ねて(後編)

前回のブログ更新以降に仕事が立て込んでいて、すっかり更新が遅くなりました。

先週に能「蝉丸」ゆかりの神社を訪ねた時の模様の”後編”をお届けします。

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国道161号線を大津から京都方面に歩いていくと、やがて道端に滋賀県発祥の「飛び出し坊や」が見えてきました。

しかし何か変です…

なんと飛び出し坊やならぬ「飛び出し蝉丸」でした。

そうです。

ここが最初の目的地「関蝉丸神社下社」だったのです。

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関蝉丸神社下社は、参道を京阪電車の線路が横切っているという面白い構造でした。

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境内には、能「蝉丸」にもでてくる”関の清水”

がありました。

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そして参拝を終えて帰ろうとすると…

鳥居の横で蝉丸さんが見送ってくれました。

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「下社」を後にして上り坂の国道を京都方面に少し歩くと、国道161号線はやがて国道1号線と合流します。

道の向かいに紅い鳥居が見えてきました。

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「関蝉丸神社上社」です。

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国道からすぐにかなり急な階段を登っていきます。

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階段の途中の踊り場には「蝉丸」の額が。

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小ぢんまりとした本殿に参拝して、時計を見るとまだ時間に余裕があります。

3箇所目の「蝉丸神社」まで足をのばす事にしました。

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国道1号線をまた京都方面に上っていくと、まずは「逢坂山関趾」の碑を見つけました。

ここを境に国道1号線は京都方面に下っていく道になります。

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この関趾の碑のすぐ先に「蝉丸神社」がありました。

距離感から考えると、蝉丸が捨てられた場所と一番近いのがこの「蝉丸神社」なのではないでしょうか。

この神社も急な階段の上にあります。

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そして立派な舞殿の向こうに本殿がありました。

この本殿の正面に舞殿があるという構造は、実は「関蝉丸神社下社」、「上社」、「蝉丸神社」に共通の構造でした。何か意味があるのでしょうか?

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そしてこの舞殿が、3箇所とも実に「仕舞」を舞うのにピッタリの雰囲気でした。

なので最初の「関蝉丸神社下社」の舞殿で、仕舞「蝉丸」を奉納してしまおうかと本気で思ったのです。

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しかし、舞殿に上がる前に念のため辺りを見廻すと、なんと線路の向こうの日本料理屋さんからこちらが丸見えで、複数のお客さんと目が合ってしまったのです。。

舞わなくて良かったです。

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こうして無事に3箇所の神社に参拝して、京阪電車に乗って逢坂山を後にしたのでした。

もしもまた時間がとれたら、今度は京都側から逢坂山に向かって「逆髪」の気分を味わってみたいと思います。