声の百番集「山姥」の思い出

私がまだ小学生の頃、家の本棚に「宝生流 声の百番集」というのが並んでいました。

“ソノシート”という薄いレコード盤がたくさん入っている物で、本棚のかなりの場所を占領しています。

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その頃の私には全く価値のわからない物で、母親が大事にしている事だけが子供心にもわかりました。

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やがて京大宝生会で謡を少し齧った頃に、休みで実家に帰るとあの「声の百番集」が目につきました。

初めて棚から抜き取って中身を見てみると、名だたる先生方のお名前がずらりと並んでいます。

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実家にはどこでも持ち運べる小さなレコードプレーヤーがあったので、「声の百番集」の棚の前に置いて、これはと思う曲を順番に聴いてみました。

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最初に衝撃を受けたのは、高橋進師がシテの「山姥」でした。

当時私は農学部林学科でよく山に入っていたのですが、その本物の深山幽谷で体験した感覚が、高橋進師の”謡の力”だけで脳内に有り有りと蘇って来たのです。

後シテの出の謡を聴いていると、山の木々や土の匂い、冷んやりとした空気感までがリアルに思い浮かび、感動で震える思いがしました。

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「声の百番集」は忽ちにして”宝の山”にかわり、私は別の百番集を1セット入手して、小型レコードプレーヤーと共に京都に送って日々聴き暮らしたのでした。

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今日は宝生能楽堂にて、日曜日開催の「月並能」の申合があり、私は能「山姥」の地謡を勤めました。

あの高橋進師を聴いて以来、私の最も好きな曲のひとつになったこの「山姥」。

地謡を謡わせていただくと毎回非常に勉強になる曲なのですが、今回もシテ佐野由於師と地頭三川淳雄師の謡で多くの学びがありました。

そして謡っていると、やはりあの「声の百番集」を最初に聴いた時の感動が蘇ってくるのです。

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日曜日の本番も、私にとってある意味で転機になった曲であるこの「山姥」を、精一杯謡わせていただきたいと思います。

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