紫明荘組2018稽古納め

今日は京都紫明荘組の今年の稽古納めでした。

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思えば今年に入ってから「紫明荘」が借りられなくなり、稽古場としては試練の1年だったと言えると思います。

しかしそれをものともせず、紫明荘組の皆さんは能「小袖曽我」を出したり、初舞囃子に挑戦されたり、病いを乗り越えて元気に復帰されたりと、とてもパワフルな1年を過ごされました。

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今日は稽古の後に京都駅前のアサヒスーパードライにて紫明荘組忘年会をしたのですが、そこにはつい最近稽古を始められた会員さんや、今春京大宝生会を卒業して晴れてOBの仲間入りをした若手達などが参加してくれて、大いに盛り上がりました。

来年に向けた新しい試みや大きな挑戦の話も出て、おかげさまで来年も賑やかな年になりそうです。

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紫明荘組の皆さん今年も1年どうもありがとうございました。

来年もまたどうかよろしくお願いいたします。

面白写真〜2018師走〜

今年最後の”面白写真”です。

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先ずは三ノ輪橋から都電荒川線に乗ってすぐの某駅前にて。

昭和感溢れるゲームセンターがあるな…と思って通り過ぎようとしたのですが、なんとここは”ディスコ”でもあるようなのです。

昼過ぎの閉店時間で中は確認出来ませんでしたが、このアルミの引き戸から入るディスコとは…⁇

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「ディスコ&ゲームセンター」

に続けて「○○&××」シリーズをいくつか。

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「ふとん&和菓子」。

こちらも閉店中。店内に布団と和菓子がどう並んでいるのか、開店している時に是非確かめてみたいものです。

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カフェ&バー、エベレスト&富士。

なんとなく語呂は良いです。

世界各国に支店を作れそうです。

タンザニア支店「エベレスト&キリマンジャロ」とか。

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水道橋にて。

炭火焼&ワイン&書籍…なのでしょうか⁇

「いやあ本屋でワイン呑み過ぎて…」と言ってヘベレケで帰ってくるのもまた一興かもしれません。

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最後にネット上で見かけた画面を。

このページに飛んでみたのですが、実体はないようで少しホッとしました。

フリーランスの能楽師がアルバイトで地謡…という時代は我々の業種ではきっと来ないと思います。

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今年も色々な場所に行って、面白い写真を色々撮りました。

来年もまた知らない町でたくさんの面白い物事に出会えることを楽しみにしています。

2019年舞台出演予定を更新いたしました

日頃ブログの更新ばかりでホームページの他の部分の更新が滞っておりまして、誠に申し訳ございません。

来年の舞台出演予定をようやく先ほど更新いたしました。

来年2019年は東京、大阪、京都、名古屋などで出演予定があります。

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5月には京宝連120回記念にあたる関西宝連大会が開催されます。

京宝連加盟大学による合同演能という話も持ち上がっております。また詳細がわかり次第発表したいと思います。

ちなみに10年前の京宝連100回記念では合同演能「竹生島」が前シテ京大、後シテ同志社、ツレ京女、地謡京大同志社連合、後見京女、という布陣で演じられました。

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…今日は久々の休みでした。これから年末年始にかけては何日か休みがあり、いよいよ今年が終わっていくという気分になって参りました。

ブログの最初の頃はカテゴリー分けが出来ていないので、その作業なども休み中にしたいと思っております。

短いですが今日はこれにて。

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亀岡の花々〜二羽すずめ〜

亀岡稽古は今日が今年の最終日でした。

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朝東京を出て昼過ぎに到着した亀岡は、陽射しがあって思ったほどの寒さではありませんでした。

しかし稽古場のある建物の中がむしろ底冷えしていて、私の到着前に予めつけていただいていた暖房が大変有り難く感じられました。

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午後の稽古が一段落して、少し時間が空きました。

外は紅葉も終わって寒々とした風景で、よもや花々など一輪も咲いていないだろうと思われました。

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しかし今年最後の稽古です。せっかくなので、何か木の実でも無いかと探しに行ってみたのです。

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剣山を逆さまにしたような面白い形の「ミツマタ」の蕾がありました。

今年3月27日のブログには、下のような花の写真を載せました。

来春にはまたこのような花を見せてくれるのでしょう。

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しかし、他にはこれと言って目につくものがありません。。

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しばし歩くと、おや、と気がつきました。

枯れた木々の中に何やら黄色いものが目に入ったのです。

しかも実ではなく花のようでした。二輪だけ咲いた黄色い花。

木の幹に下がっていた名前のプレートには「ムレスズメ」とありました。

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なんとこちらは4月22日のブログに載せた植物で、その時は下のような有様だったのです。

無数の小さな花が咲いている様はまさに「群雀」という風情でした。

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しかし今日見たのは「返り咲き」のたった二輪の、というか二羽のすずめ達でした。

寒さに耐えてじっと木に止まっているような”二羽すずめ”が、今年の「亀岡の花々」の見納めになりました。

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来年はまた、今年見られなかった花々達にも出会ってご紹介できると良いと思います。

9年前の今日

昨夜田町稽古場の会員さんより「9年前の今日」という題名のメールをいただきました。

内容は、今からちょうど9年前の平成21年12月17日に宝生能楽堂で「謡曲仕舞教室」の修了発表会があった、というものでした。

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「謡曲仕舞教室」は、内弟子が順番で講師になり、宝生能楽堂で2年間謡と仕舞の稽古をするという教室です。

教室卒業後、希望者はそのまま講師の先生について稽古を続けても良い、という決まりでした。

現在の澤風会の江古田と田町の稽古場はこの「謡曲仕舞教室」時代からの会員さんが母体になっています。

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平成21年に修了ということは、稽古を始めてからはもう11年が経つことになります。

そういえば、当時幼稚園児で教室に入って来た子供がもう高校生です。

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有り難いことに11年経過してなお、当時の教室修了生の半分以上の方々が稽古を続けてくださっています。

皆さんそれぞれ大変に上達されて、中には舞囃子や能の役までなさった方もおられます。

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毎年講師が入れ替わっていく謡曲仕舞教室で、偶々私の順番の時に教室に来てくださり、以来ずっと稽古を続けてくださっている皆様には本当に感謝しております。

この御縁が出来る限り長く続くように、来年以降も頑張って稽古して参りたいと思います。

2018年冬の関西宝連が無事終了いたしました

本日香里能楽堂にて、関西宝連の舞台が無事に終了いたしました。

例年にも増して沢山見所に応援にいらしてくださった皆様、誠にありがとうございました。

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色々な出来事がありましたが、まだ終えたばかりで消化してお話するのが中々難しいです。。

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とりあえず能「経政」が成功裡に終わったことがやはり大きな収穫でした。

「次の能を来年冬の関西宝連で出すのは可能か、そして地頭を3回生にしても大丈夫か?」という相談を学生から受けたのが1年ほど前。

そこからの1年間の道のりは決して平坦なものではなく、部員達はそれぞれが様々な試練を乗り越えなくてはなりませんでした。

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また4月に入った1回生達は、ギリギリまで一緒に能地の稽古をして、その成果か例年よりも部員全員が一体感を持って本番を迎えられた気がします。

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そのように実に沢山の良いことや辛いことを経てついに始まった能「経政」は、とても熱い舞台になったと思います。

シテも地も気迫が漲っていて、しかし決して舞い上がること無く「静かに燃えている」という感じでした。

申合で出た修正点もことごとく改善されています。

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舞台が佳境に入ったのはクセが始まったところでした。

「月に双びの丘の松の…」という地の謡い出しは、それまでの丁寧に道を辿るような雰囲気から、ついに何かが弾けたような激しい調子になりました。

溜まっていたもの、熟成されたもの達が一気に発散されて気化していくような、なんとも言えない感情に後見座で聴いていて胸が熱くなりました。

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この舞台を間近で体感した1回生達も、きっとそれぞれに感じることがあったと思います。

その想いがまた来年再来年に能の舞台で花開き、発散されてさらに次の世代に伝わっていけば良いと思います。

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学生の皆さん今回も素晴らしい舞台をありがとう。

幹事の皆さんお疲れ様でした。

五雲会の能「舎利」無事終了いたしました

本日五雲会にて能「舎利」が無事に終了いたしました。

ご遠方からの方々も含めて、たくさんの皆様にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。

能「舎利」の感想はまた改めて詳しく書かせていただきます。。

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今年の私のシテは今日で全て終わりました。

一応ホッと一息なのですが、今は新幹線で関西に移動中です。

明日は香里園能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されて、京大宝生会は能「経政」を出すことになっているのです。

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明日は学生達にとってはある意味、人生の中での山場の1日になるわけです。

私はその1日が少しでも充実したものになるように、頑張ってサポートしたいと思います。

1700年をかけて…

今日は宝生能楽堂にて能「舎利」の最終確認の稽古をして、チケットのことなど諸々の準備を済ませました。

あとは明日の本番を待つばかりです。

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「舎利」に関して、かねてより疑問に思うことがありました。

「シテ足疾鬼はお釈迦様の入滅の後、泉涌寺に現れるまで何をしていたのか?」

ということです。

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お釈迦様の入滅の時期は、諸説あるようですがおよそ紀元前500年前後のようです。

一方で京都泉涌寺に大陸から”牙舎利”がもたらされて舎利殿に祀られたのは、泉涌寺ホームページによれば1228年のことだそうです。

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つまり釈迦入滅から舎利が泉涌寺に来るまでには1700年ほどの時間差があることになります。

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足疾鬼は釈迦入滅の時に、一度は仏舎利を奪いながら韋駄天に取り返されます。

その時の戦いのダメージから回復するのに1700年かかった可能性はあると思います。

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1700年をかけて完全に復活して、満を持して泉涌寺に向かった足疾鬼。

しかし彼は能「舎利」の最後でも、またしても韋駄天に舎利を取り上げられて、「力も尽き、心も茫々と…」という精根尽き果てた状態で去っていくのです。

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このダメージからの回復にまた1700年かかると仮定すると、足疾鬼が次回舎利を奪いに来るのは西暦3000年くらいになる予定です。

その頃泉涌寺舎利殿はどんな建物になっているのでしょうか?

韋駄天ならぬ最新鋭の舎利警備システムが足疾鬼を迎え撃つ、というSF的ストーリーを想像してしまいました。

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ともあれ明日は、1700年かけて休息した元気一杯の足疾鬼が如何にして「力尽き、心も茫々…」となってしまったのか、その顛末を頑張って演じたいと思います。

幣とタルチョ

今日の午前中に能「舎利」の申合が終わりました。

最近舞台関係のことばかり書いておりますが、ちゃんと澤風会稽古もしております。

昨日は田町稽古、今日は申合の後に先ほどまで江古田稽古でした。

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昨日の田町稽古でのこと。

田町稽古場には「和漢朗詠集」などに詳しい会員さんがいらして、謡の稽古の前後に色々解説をお願いしています。

昨日は「龍田」の解説をしていただきました。

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龍田の地謡に「殊更にこの度は、幣とりあえぬ折なるに、心して吹け嵐、紅葉を幣の神慮…」という言葉があり、これは菅原道真公の有名な「この度は 幣も取りあえず手向け山…」という百人一首の歌などから取った文句です。

そこから、「”手向け”という言葉は”峠”の語源であり、旅人が峠の道祖神やお地蔵様に幣を手向けて旅の安全を祈ったのが元になっている」というお話になりました。

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私はこの話を知らなかったので、ちょっと感動しました。

京都北山に無数にある峠には、よくお地蔵様が祀ってあったことを思い出したのです。

芦生原生林に入る峠はその名も「地蔵峠」といいました。

昔の旅人達はあの峠のお地蔵様に”幣”を手向けていたのでしょう。

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更に稽古の後に色々考えました。

「峠に幣を手向ける」という事が何か引っかかったのです。

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チベットやネパールの峠には必ず、「タルチョ 」呼ばれる五色の祈祷旗が掲げられて、峠の風にはためいている、という話に思い至りました。

改めて「タルチョ 」を調べると、「旅の安全、世界の平和などを願って掲げられる」とあります。

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幣の中には「五色の幣」というものもあり、これを峠の道祖神などに手向けるのは、もしや「タルチョ 」=五色の祈祷旗が起源になっているのではないでしょうか。

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…もしかして有名な話で、私が知らなかっただけかもしれません。

しかし昨日の田町稽古での解説のおかげで、龍田山から一気にヒマラヤ山脈の高い峠にまで想像を飛ばすことが出来ました。

解説では「龍田の神は風の神である」というお話もあり、風にはためくタルチョの風景がますます思い浮かんだのでした。

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どなたか「幣とタルチョ」の関係をご存知の方がいらしたら、どうかお教えくださいませ。

新しい足袋

私が能「舎利」のシテを勤める「五雲会」の申合がいよいよ明日になりました。

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能のシテを勤める時には、当然一番質の良い綺麗な白足袋を履きます。

私の場合は新富町の「大野屋」で誂えた足袋をシテ用に使っておりますが、毎回新しい足袋をおろす訳ではなく、1回シテで使っただけの足袋は洗ってまた次のシテに使うこともあります。

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その後その足袋は、薪能やツレの時にだけ使うようになり、やがて稽古用になっていきます。

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今回の能「舎利」では、新しい大野屋の足袋をおろそうと思っております。

これにはある理由があります。

能「舎利」では、他の曲と比べて”足の裏”がはっきりと見える可能性が高いのです。

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どこのシーンで”足の裏”が見えるのかはネタバレなので明言しませんが、前シテの最後の方とだけ申し上げておきます。

皆さま是非五雲会にいらしていただき、そのシーンを確認していただければと思います。

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宝生流五雲会

12月15日(土)正午始 於宝生能楽堂

能「和布刈」シテ小倉伸二郎

能「巻絹」シテ小林晋也

能「舎利」シテ澤田宏司