自分だけの感覚
今日は宝生能楽堂の五雲会にて能「杜若」の地謡を勤めました。
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「杜若」という曲も以前書いた「桜川」のように、舞台の上には杜若の花は一切出て来ません。
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ここで話は唐突に変わってしまいますが、私は昔から時たま不思議な感覚に襲われることがあります。
例えば青空を見て綺麗だと思った時に、「しかしこの’青’という色は、他の人にも自分と同じように見えているのだろうか?」と考えてしまうのです。
自分以外の全ての人が、全然違う色を’青’と認識しているとしたら、などと思うと、何となく頼りない気持ちになってしまいます。
或いは、カレーを食べて美味しいと思った時なども同様で、「この味は本当にみんな自分と同じように認識しているのかな?」と己の感覚に不安を覚えてしまったりするのです。
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しかしまたここで能「杜若」に立ち返ってみると、元々舞台上に杜若が無い以上、上に書いたような心配は全く無い訳です。
誰にも見えない杜若を自分だけのイメージで自由に想像すれば良いので、そこに他の人との五感の共有は必要無いのです。
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私は能舞台に上がると、緊張感と並行して言いしれぬ安心感と開放感を覚えてしまいます。
これは他人を全く気にせずに、自分の感覚だけでその空間に存在できるということから来る感覚なのかもしれないと、今日の能「杜若」の序之舞の間にぼんやりと考えていたのでした。