絶賛新歓活動中!

今日は香里能楽堂にて、明日の七宝会の能「雲林院」の申合があり、その後夕方から京大稽古に行きました。

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吉田近衛の京大能楽部BOX棟の前に着くと、ちょっと離れた所に宝生会部員の姿が見えます。

去年最初に入部してくれたIさんでした。(去年4月26日のブログ参照)

彼女は今年は新歓活動の中心になって頑張ってくれており、手には宝生会のビラの束をしっかりと持っています。

「おお、Iさん」と声をかけてよく見ると、彼女の隣に男の子が立っています。

Iさん「先生!なんと彼、入部したくて来たそうなんです!」

なんと❗️

よく見ると、先日のワークショップに来てくれた男の子でした。

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3人でいそいそとBOXに行き、その場にいた部員達に喜びの紹介をしてから早速稽古を始めました。

早く入ってくれただけあってなかなか筋が良く、今日だけで「熊野クセ」の仕舞を一通り稽古出来てしまいました。

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今日はその後も、2回生部員と苗字が同じで高校も同じ、出身地が隣町という、何か奇縁を感じる新入生が見学に来てくれたり、やはり色々賑やかな稽古になりました。

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京大宝生会には既に、吹田東高校宝生会出身の女の子が1人入部してくれているので、今年は今の所2名の新入生を迎えています。

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また明日の七宝会には4〜5人の新入生が観に来てくれるとのことです。

今年の新歓活動は例年より出足が早い感じで、嬉しい限りです。

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明日の七宝会ではいよいよ能「雲林院」のシテですが、新入生を更にたくさん迎えるためにも頑張って良い舞台を勤めたいと思っております。

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今日は稽古の終わり近くで、先ほどのIさんにサプライズ誕生日プレゼントが数人の部員から贈られたりして、とても幸せな1日になりました。

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鬼くすべの鏡餅

唐突ですが、下の写真は何だと思いますか?

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題名で答えを言ってしまっておりますが、これは昨日、大山崎宝積寺の追儺式「鬼くすべ」で使われた「鏡餅」なのです。

お正月によく見る鏡餅とは、だいぶ形が違いますね。

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昨日も載せた鬼くすべの写真ですが、写真の上の端に、何やらたくさんぶら下がっている物体があります。

これが、「鏡餅」を竹に挟んで更に紐を付けたものなのです。

本堂の鴨居にぐるりと75個吊り下げられています。

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この特殊な「鏡餅」は、鬼が鏡に映った自らの姿を見て驚いた隙に祓ってしまおうという目的で使われるそうです。

75という数は、聖武天皇が龍神様の御告げを聞いてから75日目に即位したことに由来する数だとか。

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「鏡」という道具は能楽にも様々なシーンで登場します。

能「昭君」で後シテ韓耶将は、鏡に映る鬼のような自分の姿に恥じ入り消えていきます。このあたり、「鬼くすべの鏡餅」と似た構造が見られます。

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また能「野守」では、野守の鬼が「全てを映す鏡」を持って現れます。

この「野守の鏡」は、地獄の閻魔大王が持っている「浄玻璃の鏡」と似ています。

実は大山崎宝積寺には、素晴らしい「閻魔大王坐像」があるのですが、「閻魔大王の浄玻璃の鏡」と「鬼くすべの鏡餅」にも何か関連があるのかもしれません。

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そして昨日の鬼くすべ終了後に、その75個の鏡餅のひとつを私がいただいたのです。

これは大変に有り難いことです。

昨日の煙の香りも鏡餅にしっかり染み込んでいて、顔を寄せると鬼くすべを思い出すことが出来ます。

早速室内に吊り下げて、邪気から護っていただこうと思っております。

今年の煙も凄かった

今日4月18日は、毎年大山崎稽古場のある宝積寺にて「鬼くすべ」という追儺式に参加させていただいております。

昨年4月17日と18日のブログに詳しく書きましたが、今年なんと1295回を迎えるという大変古い伝統を持つ行事です。

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昨年は境内に咲く佐野藤右衛門さんの枝垂れ桜に迎えられましたが、今年は季節の移ろいが早く、満開の白い藤の花に迎えられました。

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宝積寺に到着すると、先ずは食堂に通されて「筍ご飯」をいただきます。

筍の名産地乙訓にあるお寺だけあって、この「筍ご飯」と「筍のお吸い物」は正に絶品なのです。

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幸せな気分になって、御座敷に移動して裃に着替えます。

御座敷では、「七福神さん」や「鬼さん」達も一緒に着替えていて、着替え終わると記念撮影をすることになっています。

七福神さん。

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鬼さん。

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こちらは本物の山伏さん。

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そして我々「大山崎澤宝会」。

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この後に本堂に移動して、いよいよ「鬼くすべ」が始まるのです。

詳しい模様は昨年のブログをお読みいただきたいと思いますが、今年は昨年にも勝る煙の量で目が痛くなりました。。

開始直後はこんな感じなのが…

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やがてこうなります。

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目は痛くなりましたが、今年も蓬の矢で鬼が払われて、「鬼くすべ」は無事終了しました。

「鶴亀」と「高砂」の謡も無事に奉納出来ました。

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払われた鬼さんと記念撮影。

宝積寺の皆様、大山崎澤宝会の皆様、今年もどうもありがとうございました。

控え目ながら情は深く

今週土曜日の七宝会麗春公演での能「雲林院」が、いよいよ近づいて参りました。

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稽古と並行して、「在原業平」の事を相変わらず色々調べております。

しかしながら、業平や伊勢物語に関する研究などは膨大な量があり、とても私などには消化し切れません。。

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やはり能の世界に限定して、試みにその中で「業平」と「光源氏」とを比較してみると、いくつか興味深いと思われることがありました。

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①業平がシテの能「雲林院」と、光源氏がシテの能「須磨源氏」

②業平の妻だった「紀有恒の娘」がシテの能「井筒」と、光源氏の恋人だった「夕顔」がシテの能「半蔀」

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この①と②をそれぞれ比較してみます。

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まず①「雲林院」では、シテが「在原業平」であるということは必ずしも強調されておらず、シテ自身「昔男」であるとしか名乗っていません。

一方で「須磨源氏」には「光源氏」や「源氏」という単語が頻出しており、後シテははっきりと「我いにしえは光源氏と言われ」と謡っています。

そして「雲林院」では、二条の妃とシテとの恋模様が物語られている一方で、「須磨源氏」では主として光源氏自身の華やかな生涯と出世の有り様が物語られています。

また②の「井筒」では、シテ紀有恒の娘は前半で自分と業平との馴れ初めを詳しく語ります。

そしてクライマックスでは業平の形見の衣装を纏って舞いながら、その面影を思い出して涙を流します。

一方「半蔀」のシテ夕顔も光源氏のことを語りはします。

しかしそれは夕顔と源氏との恋物語というよりは、何か客観的な視点で自分と源氏の行動を別々に描写しているように感じられるのです。

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①②を総合して考えると、

○在原業平は、自分を強くアピールすることはしない。また女性との関係は情が深いもので、相手の女性も業平の事をいつまでも強く慕っている。

○光源氏は、自らの存在と華やかな生涯を自信を持って世に誇っている。一方で女性との関係はどこか冷静な部分があり、相手の女性もどちらかといえば恋愛そのものよりも「光源氏に愛されている自分」の方に喜びを感じている。

というような分析が出来る気がします。

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なにやら「恋占い」の結果のようでもあり、研究者からすると全く的外れな分析かもしれません。。

しかし、この分析による業平の人物像は、なんとなく私には好ましく思われるのです。

今回「雲林院」のシテを勤めるにあたって「自己アピールは控えめで、しかし情は深い男」という人物をイメージしてみようかと思っております。

新歓ワークショップ終了しました

今年の京大宝生会新歓ワークショップもおかげさまで無事終了しました。

12人の新入生が観に来てくれました。

そして現役囃子方カルテット( OGさんは入っていませんでした。昨日のブログをお詫びして訂正いたします)による「中之舞」に合わせて、装束と面を付けた元部長が華麗に舞ってくれました。

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この京大宝生会新歓ワークショップも、有り難いことに年々参加者が増えております。

10年ほど前に始めたばかりの頃は、何と新入生1人であとは現役とOBOGだけ、という年もあったのです。

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これは現役が組織的に宣伝や呼び込みを頑張ってくれている成果だと思います。

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実はワークショップは終わりましたが、現役達は今頃百万遍で新入生と晩御飯を食べているはずです。

ここで和やかに話しつつ色々盛り上げて、何とか次の稽古に来てもらうまでが重要な仕事と言えるのです。

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今日来てくれた新入生は、個性的で見どころのある人がたくさんいました。

次の金曜日の私の稽古に、どうか1人でも多く来てほしいものです。

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新歓ワークショップの目玉は…

京大宝生会では明日4月16日に、新歓ワークショップを開催します。

宝生流は流儀として学生の能楽クラブ活動を積極的にバックアップしていて、この新歓ワークショップも流儀からの支援を受けて毎年装束や面も使用して開催しているのです。

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そして明日は、例年通りの型や謡の体験、装束の着付けや能面の体験などに加えて、ある新しい試みも準備されています。

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京大宝生会の現役と若手OGが、能楽囃子の大鼓、小鼓、笛、太鼓をすべて担当して、更に部員の1人が装束と面を付けて、「中之舞」を舞ってみよう、というチャレンジです。

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この2〜3年で能楽囃子を稽古する部員が急増した京大宝生会。

その宝生会自前の囃子方が、ついに初めてカルテットを組んで、人前で稽古の成果を披露するのです。

また、舞い手の4回生も、装束と面を付けての舞は勿論初めての経験です。

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新歓ワークショップなので、当然1人でも多くの新入生に入部してもらうというのが一番の目標です。

しかし、「京大宝生会自前の囃子方で、シテが装束と面も付けて舞う」というのは、京大宝生会にとっては少なくとも平成以降では初めての出来事なのです。

これを皮切りにして、どんどん囃子方としての経験も積んでいってもらい、また新しい囃子方メンバーも増えていけば、可能性が色々広がっていくと思います。

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明日18時半から京大能楽部BOXにて開催の京大宝生会新歓ワークショップ、沢山の新入生を迎えて盛り上がれるように、私も精一杯頑張ってサポートしたいと思います。

宝生坂の桐の花

去年5月8日のブログで、中央本線から見える「桐の花」のことを書きました。

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またその時に、「宝生坂」の途中にも桐の木があり、桜の散った少し後に花が咲くとも書きました。

それは正に今頃の時期です。

今日は五雲会で宝生能楽堂に行きましたが、到着するとすぐに能楽堂脇の宝生坂を覗いてみました。

すると案の定、桐の花が綺麗に咲いています!

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先ずは全景。宝生坂右手の大きな木が桐の木です。

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わかりづらいのですが、都立工芸高校をバックに紫の花が天を向いて咲いています。

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振り返れば、東京ドームホテルをバックにした桐の花です。

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前回のブログでは、桐は古来神聖な木とされており、格式のある紋章として使われていると書きました。

そしてまた今回調べてみると、いくつか面白いことがあったのです。

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「榮」という文字は、普段の生活ではあまり馴染みの無い漢字です。

しかしこの文字は実は「花が木一杯に華やかに咲く」という状態を表し、転じて「花が一面に木を覆う桐の木」という意味があるそうなのです。

そう言われると桐の花は、木の上に「火」がたくさん燃えているように咲いています。

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実は私の身近にこの「榮」という文字を冠する苗字の人がいるので、このことを知っているのかどうか今度聞いてみたいと思います。

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また、英語ではこの桐の木を「プリンセスツリー」と呼ぶそうです。

調べるほどに、「桐」は何やら神聖な木のようです。

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明日の雨を乗り越えてくれるか心配ですが、宝生坂の「桐の花」、今が見頃だと思います。

お近くにお越しの方は、是非ご覧くださいませ。

前線を追い越して

昨日は午前中の五雲会申合の後に、青森稽古に移動しました。

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東京ではもう「桜」と言う単語は過去のものになりかけておりますが、実は一昨日いただいた「岩手未来機構」の方からのメールで「盛岡は間もなく桜が開花します」とありました。

北の街ではまだまだこれから開花するようです。

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新幹線で北に移動しながら、桜の様子で季節が戻っていくのを確認しようと思っていました。

しかし…

仙台までは桜はもう散りかけでした。そこまでの記憶はあります。

そしてその先はトンネル区間が多く、そこで徐々に眠気がおそって来ました。。

私が次にハッと目が覚めたのは、まだ開花直後の盛岡辺りだったのです。

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しかも、目覚めた切っ掛けは「くしゃみ」でした。

東京でようやく治ってきた花粉が、どうやら盛岡辺りではまだまだ絶好調らしいのです。

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青森に到着して、稽古場まで送っていただく車に乗り込んでの最初の一声が「ごんばんわ〜よ”ろ”じぐお”ね”がいじまず〜」という酷い声になってしまって、自分でびっくりしました。

どうやら「桜前線」を追い越すと同時に、「花粉前線」に追いついてしまったようでした。。

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そして今日、花粉前線を後に南下して東京に戻ると、喉もくしゃみも嘘のように治っていました。

申合にかかる時間

今日は宝生能楽堂にて、五雲会の申合がありました。

能「金札」「吉野静」「須磨源氏」の3番です。

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能1番にかかる時間は30分程度の短いものから、120分を超える長いものまで様々あります。

しかし、「申合」にかかる時間というのは、実は本番の時間の長短とは全く対応していないことが多いのです。

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つまり、本番と申合がともに50分かかる曲もあれば、本番が90分かかるのに申合は45分で終わる曲もあるのです。

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申合では、いくつか省略する部分があります。

先ず省略するのは「中入」の部分です。これが大方15分くらい。

そして「曲の冒頭〜前シテの出」までも省略することが多いです。この部分も10〜15分ほどあります。

なので、多くの曲では本番の時間から30分を引くと、申合の大体の時間がわかります。

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しかし、中入が無い曲や、曲の最初にシテが出てくる曲などは、本番と申合が殆ど同じ時間になります。

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また省略部分が多い為に予想よりも早く申合が終わる曲もあり、経験則でそういう曲は覚えておくようにしております。

そして正に今日の五雲会申合での「金札」と「吉野静」が、予想外に早く申合が終わる曲だったのです。

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「金札」は、僅か28分で申合が終わりました。

続く「吉野静」も約35分で申合終了でした。

能2番の申合を終えて、約1時間しか経過していなかったのです。

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他の曲では、「岩船」「経政」「禅師曽我」「忠信」「鵜飼」「車僧」など何曲かが、30分前後で申合が終わります。

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申合の日には、前後に予定が入っていることもあるので、この「申合にかかる時間」というのを正しく把握しておくのもまた大事なことなのです。

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ちなみに明後日土曜日の五雲会本番では、能3番と狂言、休憩で4時間かかる予定です。

本番はどうかゆっくりとご覧いただき、「申合ではどこをやってどこを省略したのだろうか?」と想像してみるのも、またひとつの楽しみ方かもしれません。

方丈のようなワンルーム…?

能「加茂」の初同の謡「石川や 瀬見の小川の 清ければ 月も流れを 尋ねてぞ澄む」は、鴨長明の和歌の引用です。

その鴨長明は私の知識では、人生色々上手くいかなくて、50代で山に庵を結んで隠棲してしまったというちょっと気の毒な人です。

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糺の森の一角にある「河合神社」はその鴨長明ゆかりの神社であり、境内に長明が住んだという庵、「方丈」が復元されています。

広さは四畳半よりも少し大きい程度、分解組み立てが出来て、移動も可能です。

アメリカ原住民の「ティピー」や、モンゴル遊牧民の「ゲル」と比することも出来る、なかなかに機能的な住居だと思います。

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「方丈記」には、「ヤドカリは小さな貝を好むが、それは身の丈をわきまえているからだろう」というような表現がありました。

私も理想としてはそのように、無駄を極限まで排除したシンプルな生活がしてみたいと常々思っております。

鴨長明さん、色々苦労しながらも、実は自分に合った理想的なライフスタイルを見つけた人なのかもしれません。

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一方で今日の携帯ニュースで読んだのは「3畳ワンルーム」が都心で人気だという内容でした。

3畳とは、なんと鴨長明の「方丈」よりも遥かに小さいサイズです。

一番小さなビジネスホテルでも、そこまで狭いところは殆どありません。むしろカプセルホテルに近い感覚です。

そこで果たして「生活」出来るのでしょうか…。

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しかし、

○現代日本では、スマホ1台あればPCもテレビも本棚も必ずしも必要ではない。

○都心ならば食事は全て外食でも、バランスよく済ませることが可能である。

と考えれば、確かに居住スペースは殆ど要らない気がしてきます。

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意外にも都心で、「方丈」で暮らすようなシンプルライフが可能なのか…と思ったら、3畳ワンルームでも家賃は「10万円を切るくらい」はするそうなのです。

8〜9万円の家賃を払って、食事は全部外食…となると、隠棲どころかちゃんと真面目に働かないと生活出来ないですね。

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「現代版鴨長明」のような生活は、実は鎌倉時代よりも更に苦労が多いのかもしれません。。