休みの日に働くこと

今日はゆるいお話です。

今朝松本稽古に行こうとして、いつものようにJRの改札機に「あずさ回数券」を入れたところ、何故か「この切符は使用出来ません!」と弾かれてしまいました。

そこでようやく、「ああ、今はゴールデンウィークか…」と思い当たったわけです。

回数券はゴールデンウィークや年末年始などは使用不可なのでした。

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「こっちはいつもの仕事なのにな。。」と思いながらすごすごと券売機に向かい、正規料金の切符を買いました。

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能楽師は人様が休みの日に働くことが多い職業で、時にその影響を受けてしまう事があります。

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内弟子の頃には、遠くで薪能などの舞台がある時は大きなワゴン車に装束、作り物、何人かの内弟子を載せて移動するのが常でした。

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舞台が無事に終わると、疲れた身体に鞭打ってまた全てをワゴン車に積み込んで、「もうひと頑張りだ!」と水道橋を目指して出発します。

しかしそれが連休最終日だったりすると、高速道路であえなく大渋滞に巻き込まれてしまうのでした。。

しかも、周りの車を見回すと殆どが休日帰りで「楽しく遊んで来ました!」という雰囲気を漂わせた車なのです。

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一方こちらは仕事帰りで疲れて目つきの悪い男達が満載の、何となく「護送車」という雰囲気のワゴン車です。

周りの車を見渡しながら、「あのベンツ、いけ好かないカップルですよ」「くそ、奴らには絶対抜かれるな!」

「あの赤いマーチ、女子4人乗りです」「よし、ちょっと並走して見て」

などと勝手な事を言いながら渋滞の中をゆるゆると走っていきます。

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こうして書いてみると、それはそれで良い思い出なのですが、当時は「こんな時は高速に”労働車専用レーン”を作ってくれ!」と本気で思ったものです。

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今も松本に向かう「特急あずさ」には、楽しそうな家族連れなどがたくさん乗っています。

それらの「休日客」の喧騒を聞きながら私は「ふう」とため息などついて、せめて車窓から見える甲州路の滴るような新緑に、旅行気分だけでも味わおうと努力してみるのでした。

伊勢神宮の舞女さん

今日は久々に仕事で伊勢神宮に行って参りました。

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数年前に参拝した時に初めて「神楽」を拝見して深く感銘を受けたのですが、今日は再びその神楽を拝見することが出来ました。

4人の「舞女」さんが舞う「倭舞」も勿論綺麗なのですが、私が特に「これはすごい!」と思ったのは実はその倭舞が始まる前のことでした。

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「舞女」さんが2人ずつペアになって、三宝などを神前に供えていくのですが、その時の2人の一挙手一投足が実に美しくシンクロしているのです。

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舞を舞う時には、背後に雅楽が流れています。

4人の動きを合わせるのは、その雅楽のリズムを基準にすれば可能だろうと思います。

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しかし全くリズムが無い状態で、身長や体格の異なる2人の人間が完璧に同じ歩幅、歩数、タイミングで等距離を、しかも美しく移動するのはかなり困難だと思うのです。

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我々能楽の世界では、「後見」の動きに似たものがあります。

2人がかりで「一畳台」などの大きな作り物を運ぶ時、笛座と後見座から別々に立ってその作り物に到達するまでの歩幅、歩数、タイミングを見計らって合わせるのです。

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この「見るともなく横を見て、合わせるともなく合わせる」という技術は、私の場合内弟子で何年か修行してようやくわかって来たものです。

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ところがまたちょっと調べてみると、伊勢神宮の舞女さん達は高校卒業して間もなく研修期間に入り、半月足らず後には参拝者の前で神楽を披露するそうです。

これには本当に驚きました。

舞女さんの就業期間が僅か5年という特殊状況もあるのでしょうが、恐らく作法や舞の稽古が非常に厳しく、またその稽古への集中力が尋常ではないのでしょう。

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通常の見方とはかなりかけ離れた所に感銘を受けている私なのですが、あの伊勢神宮の神楽は、出来れば定期的に拝見したいと思っております。

OB会新入生

昨日の京大宝生会稽古は「新入生狂騒曲」という趣きでしたが、一夜明けて今日は京都紫明荘組の稽古でした。

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ゴールデンウィーク初日で京都の街は人で溢れ返っておりましたが、有り難いことに澤風会稽古場も今日は千客万来で、福井在住の会員さんのおめでた報告があったりして、20人を越える人達がいらして色々賑やかに過ごしました。

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そしてようやく終わりが見えて来た夕方頃。

私の頭の中では、「今日は来るべき人は全員来られたかな…」とちょっとホッとしていた時に、稽古場の引戸が開くような微かな気配がしたのです。

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それでも気のせいかな…?と思っていると、入口から静かに顔を覗かせたのは新OBのK君でした。

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おお、なんと!

確かにK君には先週の七宝会の時に、「28日は澤風会稽古日だから、良かったら来てね」と言っていたのでした。

彼にとってはOBになって澤風会稽古場での最初の稽古になります。

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京大宝生会は現役の数年間もとても濃密なのですが、なんと卒業しても、同じくらい濃密で楽しい「OBOG期間」が始まってしまうのです。

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自分のペースで稽古出来て、現役では習えなかった難しい曲を好きなだけ稽古出来ます。

そしてまた連綿と続く「京大宝生OB会」の一員になり、名だたる先輩達の末尾に名を連ねて、もう一度「新入生」の気分を味わうことも出来るのです。

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今日から新たにOBとして稽古を開始したK君。

これから充実したOB生活を送ってほしいものです。

また同学年で卒業してまだ稽古に来ていない何人かの新OBOGさん達も、どうか時間のある時に稽古に来てほしいと願っております。

嬉しい悲鳴

1週間前の週末、金曜と土曜に1人ずつ新入生が入部してくれた京大宝生会。

今日も稽古に行くと…

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私「おお!また1人入ったの?」

能楽部BOXには、宝生会、観世会、金剛会、狂言会それぞれの使うホワイトボードが設置されていて、そこに入部した新入生の名前を書いていく慣わしです。

そのホワイトボードに4人目の女の子の名前が書いてあったのです。月曜日に入部してくれたそうです。

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去年は連休前には1人しか入部していなかったので、これは相当なハイペースです。

更に、授業を終えて三々五々BOXにやって来る現役達はすぐに「時計台に新入生呼び込みに行って来ます!」と宝生会のビラを持って飛び出して行きました。

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最近の新歓では、「授業が終わった時間に本部キャンパスの時計台の下で能楽部の旗を持って立っています」という情報をツイッターなどで流しているそうです。

これは私が現役の頃は勿論無かったことで、新入生集めには非常に有効なやり方のようです。

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今日も時計台に行った現役達は、暫したつと次々と新入生を連れて戻って来ます。

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最終的には新入生が12人になって、全員で舞台に上がって型の体験をする有様は正に壮観でした。

そしてそのうちの1人がまた入部してくれたのです。

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これで男子2人女子3人の計5人の新入部員を迎えたことになります。

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稽古を終えて晩御飯に行こうとしたら、人数が多過ぎてお店に入れずに、2軒に分かれて食べることになりました。

また現役の稽古時間が長く取れないという事もあり、正に「嬉しい悲鳴」という感じです。

しかしやはり新入生が大勢入ってくれると部内に勢いが生まれます。

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連休を挟んで、次の稽古に来た時にホワイトボードの新入生欄を見るのが楽しみになって来ました。

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「うりずん」の頃

昨日の雨から一転して、今日は朝から晴れ上がりました。

江古田稽古の行き掛けに「隙間花壇」を通ると、紫陽花の葉がすっかり繁っていて、地面にはオレンジ色の「虞美人草」もたくさん咲いていました。

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沖縄には冬と夏の間に「うりずん」という季節があるのをご存知でしょうか。

「潤い初め(うるおいぞめ)」が語源とされている言葉です。

沖縄の短い冬が終わって暖かくなり、草花が咲き出して大地を一斉に潤していく3月から4月にかけてが「うりずん」と呼ばれるそうです。

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今日の東京の陽気は、何となくこの「うりずん」に当たるように思えました。

そして、最近謡でもこのような内容を聞いたような…と思い起こしてみると、思い出しました。

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能「雲林院」の冒頭でワキ公光が「花の新たに開くる日 初陽潤えり」と春の陽気を謡っているのです。

「花・初・潤」と揃って、これは正に「うりずん」を謡にしたように感じられます。

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この謡は「和漢朗詠集」にある菅原文時の「春色雨中深」という漢詩が元になっています。

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少し調べたところ、また大変興味深い事がわかりました。

「うりずん」という言葉が最初に出てくるのは、「おもろさうし 」という沖縄最古の歌謡集です。この「おもろさうし 」が編纂されたのが16〜17世紀頃。

そしてこの頃までには「和漢朗詠集」などの本土の古典が琉球に持ち込まれて、琉球の歌や詩に影響を与えていたそうなのです。

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ということは、可能性として「春色雨中深」という漢詩の「初陽潤えり」という言葉が「うりずん」の語源になったということも有り得るのです。

あくまでも可能性ですが、ひとつの漢詩が一方で能楽に、もう一方で沖縄の季節を彩る言葉になったとしたら、これも雄大なスケールの話だと思うのです。

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…因みに、私が「うりずん」という言葉に初めて出会ったのは、ダイビングによく行っていた頃のことです。

那覇の安里という所に、その名も”うりずん”という大変素晴らしい沖縄料理屋さんがあって、沖縄に行くと何を置いても通っていたのです。

もう久しく行っていませんが、今でも「うりずん」の頃になると”うりずん”を懐かしく思い出します。

古裂の持つ力

昨日は松本城での打ち合わせの後に、松本稽古場の立ち上げからお世話になっている骨董屋さんの仕事場にお邪魔して、「古裂」のコレクションを見せていただきました。

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店主は数十年かけて、日本国内のみならず世界中様々な国から古い布や着物を蒐集されたそうです。

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大きな部屋の四方の壁や床や、ありとあらゆる場所にうず高く積まれた古裂。

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「これは越前三国に伝わる”三国刺し”という着物です。漁師の防寒具だったのでしょう」

「これはアフリカのある部族の酋長が着る為の貫頭衣です」

「これは縄文時代に初めて織物が発生した、その原始的な織り方で織られた最も古い布です」

「これはインドのミラーワークの初期のものです」

…次々と広げられる古い着物や布たち。

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どれも、着ていた人使っていた人、また作った人の人生や歴史を色濃く感じさせる、圧倒的な風合いを持っています。

ぶ厚い布に太い糸で刺し子が一面に施されている着物など、おそらく私のような非力な現代人ではひと刺しすら出来ないと思われ、手に取るとその力強い重味と、作り手の想いがひしひしと伝わって来ました。

着る人のことを思いながら、丁寧に作られたのでしょう。

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またそれらの古い布の中には、模様や色の組み合わせがとても美しく、「能装束として舞台で使いたい」と思うような着物がいくつもありました。

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内弟子の頃に、夏の蔵掃除で能面を全部並べて虫干しをすることがありました。

すると、並んだ能面を見ているだけで不思議な疲労感を感じたものです。

古い能面の持つ力に「あてられた」のだと思っていました。

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昨日の古い布たちも、やはり同じ力を持っているらしく、長く見た人はドッと疲れて帰っていくそうです。

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これらの膨大な古裂コレクションを、これから撮影して写真集を作る計画があるそうで、これは本当に楽しみな企画です。

また時間がある時にはお邪魔して、古い布たちのパワーを感じたいと思っております。

初夏の松本城

今朝はある催しの打ち合わせに、松本城に行って参りました。

私にとってお城というと、何となく山の上にあるイメージがあります。

しかし松本城は全くの平地にあるので、坂道を苦労して登らずとも天守閣の近くまで行けるのが有り難いところです。

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松本城管理事務所で打ち合わせを終えて外に出ると、藤棚に藤が綺麗に咲いていました。

花を見ればわかるところを、念のため「フジ」と親切に書いてある辺り、実直な街松本の雰囲気が出ています。

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満開にはもう少しですかね。

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「黒門」の脇にはこんな花が。

「宇宙ツツジ」とは?と近寄ってみると、宇宙飛行士の向井千秋さんと共に宇宙に行ったツツジの種から育てられたツツジという事でした。

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そして黒門の下には、戦国武将のような出で立ちの人が。

「写真撮っていいですか?」とお願いすると、ポーズまで決めてくれました。

こちらは「松本城おもてなし隊」の一人、「松平直政」さん。

おもてなし隊隊員には他にも松本城の歴代藩主である石川家、小笠原家、戸田家、堀田家、水野家の人々(コスプレです。念のため)がいて、城内の色んな場所に出没して一緒に記念撮影などしてくれるそうです。

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今日打ち合わせをした、松本城に関わる「ある催し」については、もう少ししたらオープンにお話出来ます。

宝生流松本澤風会の総力を結集する催しになります。

その催しに絡めて、真夏の松本城に是非たくさんの皆様にいらしていただきたいと思っております。

詳細はいま少しお待ちくださいませ。

女鳥羽川の鯉のぼり

今日は松本稽古でした。

特急あずさで松本駅に着いて、稽古場まで歩く間に川を一本渡ります。

これは「女鳥羽川(めとばがわ)」という印象的な名前の川です。

松本市の東方の山から発して、松本市内中心部を流れ下って梓川と合流する川で、清冽な水がいつも水量豊かに流れています。

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今日もその女鳥羽川にかかる橋を渡ろうとすると、目の端に何やらヒラヒラする物がありました。

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なんと、女鳥羽川をたくさんの鯉のぼりが泳いでいるではありませんか!

最近は鯉のぼりを見る事がめっきり少なくなった気がしますが、これはざっと見ても何十匹もいるようです。

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年中イベントの多い松本のこと、これも何かの恒例行事かと思い、ちょっと調べてみると意外な事がわかりました。

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この鯉のぼりは、近くに住む人形屋さんが個人で飾っているもので、昭和53年から始めて今年で40年目になるというのです。

「観光客に女鳥羽川を知ってほしい」という思いで始めたとのこと。

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更に、女鳥羽川は戦後暫くは汚れた川だったのを、市民の手で掃除や整備が行われて、今でも多くの人の努力で綺麗な流れが保たれていると知りました。

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松本という街は、住んでいる人々に愛されている街だといつも思うのですが、今日の女鳥羽川の鯉のぼりでまたその認識を新たにしました。

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風が止むと元気が無くなる鯉達ですが…

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爽やかな風が吹くと、身を躍らせて正に滝を登っていくような勢いです。

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この美しい川の流れと、毎年人形屋さんの手で飾られる鯉のぼりが、いつまでも見られるように願っております。

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亀岡の花々〜百花の王〜

今年は桜が早く咲きましたが、他の花もだいたい2週間くらい早く咲いているようです。

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なので、おそらく亀岡稽古場にある牡丹園がもう満開を迎えているのではと、楽しみにして亀岡に向かいました。

すると期待通り、色とりどりの牡丹が咲き乱れています!

牡丹には様々な別称があり、「百花王」、「百花の王」などとも呼ばれるそうです。

「百獣の王」である獅子とは組み合わせが良いとされており、能「石橋」でも大きな牡丹の花が咲き乱れる舞台上で、獅子が豪快に舞うのです。

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牡丹園には色々な種類の牡丹の花が咲いていました。暫しお楽しみくださいませ。

真紅の牡丹。

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純白の牡丹。

宝生流の通常の「石橋」では、上のような紅白の牡丹が舞台に出されます。

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そして「連獅子」という小書が付くと、このような桃色の牡丹が追加で出されるのです。

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その他にも様々な牡丹が。

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どれも舞台に出したくなるような綺麗な花ばかりでした。

今日は他にも、いくつか花を見つけました。

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アヤメのような花が咲いていましたが、これは「いちはつ」というそうです。

アヤメの仲間の中でも一番最初に咲くことから、「一初」と名付けられたのです。

昔は茅葺き屋根の上にこの「いちはつ」をたくさん植える風習があったという事ですが、その風景はさぞかし美しく、農村に初夏の訪れを告げていたことでしょう。

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黄色と橙色が混じった小さな花が、低木一杯にびっしりと咲いている奇妙な木を見つけました。

これはその名も「むれすずめ」という植物で、細い枝に雀が鈴なりに止まっているように見えることに由来する名前だそうです。

上手いこと名付けるものだと感心いたしました。

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こちらは白く小さな花が無数に咲いて、清楚な美しさを感じます。

「ひめうつぎ(姫卯木)」という名前で、これも成る程というネーミングでした。

旧暦四月を「卯月」というのは、「卯の花(卯木の花)が咲く頃の月」という意味です。

「卯の花」という言葉は、「杜若」や「歌占」、「雲雀山」など多くの能に登場しますので、謡本をお持ちの方は是非探してみてください。

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これらの花々を見ている間、周りには誰もおらず貸し切り状態で、実に贅沢で静かなひと時を過ごしました。

能「雲林院」終了そして…

本日の七宝会にて、能「雲林院」を何とか無事 に勤めることが出来ました。

舞台についての詳細はまた改めて書きたいと思います。

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終了後に遥々ドイツから観に来ていただいた知人の御夫婦や、京大宝生会関係者などと食事をしたのですが、私が遅れてお店に到着すると…

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私「あれ?○○君も来てくれたんだ!」

○○君とは新入生の男の子で、既にワークショップも含めて何回も京大宝生会に見学に来てくれていました。しかしまだ入部には至っていなかったのです。

しかも新入生は食事会には出られないかも…と聞いていたので、ちょっと驚いたという訳なのです。

すると…

新入生○○君「宝生会に入ろうか迷っていたのですが、今日の能を観て宝生会に入部することに決めました。よろしくお願いいたします」

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おお〜❗️

これは一番嬉しい展開です!

今日の舞台が最後のひと押しになって、また1人新たな京大宝生会の部員が誕生したのです。

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今日は自分の「雲林院」とともに、彼の入部した記念すべき日になりました。

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すみません短いですが、今日はこれにて。

明日は亀岡稽古で、また花の便りなど出来ればと思います。