「小塩」と「雲林院」
今日は朝に東京を発って亀岡稽古に来たのですが、寒の戻りで非常な寒さでした。
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昨日の原木での花見から一転して暖房にあたりながら稽古したのですが、謡の「小塩」を稽古している時に「あれれ?」と思うことがありました。
前シテの老人が「桜の枝」を持って出てくるところです。
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何故そこで「あれれ?」なのか。
「小塩」の前シテは「在原業平」の化身です。
そして同じ業平の化身の前シテが出てくる能に、私がまもなくシテを勤める「雲林院」があります。
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ところが「雲林院」の前シテは、桜の枝を手折ろうとするワキ芦屋公光に向かって、「花を手折るのは誰だ!」と咎めるような言葉を発しながら登場するのです。
シテはその後暫くの間、和歌などを引きながら花を手折ることの罪深さをワキに説いて聞かせます。
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その同じ人格が、「小塩」では自ら桜の枝を手折って出てくるのです。
「あれれ?」というより、「おい!」と突っ込みたくなってしまいました。
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しかし調べてみると、「小塩」は世阿弥の娘婿である禅竹氏信作、「雲林院」は世阿弥の長男の十郎元雅の作なのですね。
作者が違えば主張も違うということなのでしょうか。
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とは言えこの2人は義兄弟の近しい関係です。
お互いの曲も当然よく見知っている筈。
何か確執でもあったのかな…?と勘繰ってみたのですが、資料では2人は良好な関係だったとのこと。
「雲林院」の方が先に作られたようなので、禅竹氏信が敢えて「雲林院」と異なる設定にして、ニヤリとしていたのかもしれません。
或いは、「在原業平」という人物の解釈の仕方に相違があった可能性もあります。
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色々想像すると興味深いのですが、今のところはここまでしかわかりません。
もっと詳しく勉強して、また新しいことが判明したら書いてみたいと思います。