元伯先生のこと
私が初めて「太鼓」を習ったのは、東京芸大に入学してからのことでした。
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当時の太鼓の先生は「観世元信先生」でした。
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落語がお好きな先生で、稽古の口調もどこか落語に似た穏やかな江戸言葉でした。
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そして一年が過ぎ、翌春から先生が替わられました。
今度は元信先生の息子さんの「観世元伯先生」です。
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外見は元信先生と似ていらして、どんな稽古なのか興味深く思いながら初めての元伯先生稽古に臨みました。すると…
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「(刻みを高く)上げろ〜‼️」
「(刻みを上げるのは)まだだ〜‼️」
「そこは、まっつぐ(真っ直ぐ)打て〜‼️」
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もしも手を間違えようものなら「おい‼️‼️」
とドスの効いた声と眼光が飛んで来ます。
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親子で同じ江戸言葉なのに、これほど雰囲気が違うものかと妙な所に感動しながら、「これは今後の太鼓は大変な稽古になるな…」と内心恐れを抱いたことを覚えております。
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4年生になった頃の「真の序の舞」物の「老松」の稽古など、半ば命懸けの心持で稽古部屋に入ったものでした。
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しかし元伯先生の厳しい稽古と、その芯の通った厳格な稽古の在り方それ自体に、とても大切なものを教えていただいたと感じております。
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その観世元伯先生が、全く信じられない話なのですが51歳の若さでお亡くなりになりました。
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一年前に体調を崩されたと伺い心配しておりましたが、あの気迫と生命力に溢れた先生のこと、必ず治して舞台に戻って来られると信じておりました。
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先生御自身が想像を絶する厳しい稽古や無数の舞台を潜り抜けて、血の滲む修行をして身につけられたその芸は、これから一層舞台で花開き、そしてこの先数十年かけて多くの後進に伝えられる筈の大切な宝物でした。
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その舞台を、その稽古を出来ないままに旅立たざるをえなかった先生の無念さは、私には想像すら出来ません。
世にこんな残酷なことがあるのかと思います。
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せめて残された我々に出来ることは何でしょうか。
先生という宝物はこの世には居なくなってしまわれましたが、また先生が遺していかれたものも沢山あるのだと思います。
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私が受けた教えなどはほんの僅かですが、それでも強烈に心に残っております。
自分の舞台の稽古をする時、また澤風会で太鼓物をあしらいながら稽古したりする時には、先生の厳しい稽古を思い出すことが多いです。
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せめて今までに教えていただいたことはしっかりと忘れずに、今後の舞台や稽古に活かしていくこと。
それが私に出来る唯一のことのような気がします。
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元伯先生、今はゆっくりとお休みください。
そしてどうかこれからも能楽界を見守っていてくださいませ。
数々のお教えどうもありがとうございました。