「八島」幻想
今日は2ヶ月ぶりに大山崎稽古に行って参りました。
先月は台風21号の影響でお休みしてしまったのです。
謡は今日から新しい曲「八島」が始まりました。
実はこの「八島」に関しては、前々から不思議に思うことがありました。
「前シテが老人である」ということです。
能においては、神様や死者や化物などの化身である前シテは、本体である後シテと年齢性別が一致しないことはままあります。
しかしながら、「八島」の後シテである源義経は、他の一連の所謂「判官物」シリーズでは、あえて子方に演じさせる程に「若さ」と「輝き」をアピールしています。
その義経の化身が「老人」。
例えば別の勝修羅物「箙」の前シテなどは直面で、若者が演ずることが多い曲です。
「源義経」に格を与える為に老人にしたのでしょうか…。
ふと思いついたのが、別の可能性です。
全くの私見なので笑っていただいて構いません。
それは「義経は老人になるまで生きていた」という可能性です。
現在においてさえ、義経は衣川で生き延びて、北海道から大陸に渡り…という説があります。
まして義経の死後それ程時間の経っていない室町時代ならば、より信憑性の高い噂があってもおかしく無いと思います。
また多くの民衆も義経に「生き延びていてほしい」と思っていた筈で、それを汲み取った世阿弥が前シテの年齢設定にその願望を反映させた、というのは穿ち過ぎでしょうか。
しかし、そう解釈する方が夢があると私は思うのです。
例えばモンゴルの大平原が舞台で、「八島」と同じ年恰好の前シテが現れる。
そして老人は「衣川以後、モンゴル帝国建設まで」を物語って消え失せ、やがて後半になると「八島」の頃よりもはるかに風格を増した後シテが登場する。
…というような新作能を想像するだけで、私は心が湧き立ってくるのです。