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「危ないこと」や「痛いこと」

このブログでは舞台に纏わる様々なことを書いていますが、実はそれは主に「きれいなこと」と言いますか、表に出しやすい事柄を選んで書いております。

日々の舞台の裏では、「危ないこと」「痛いこと」「汚いこと」なども本当はたくさんあるのです。

今日は、ここ1週間の舞台でのそういった出来事を書いてみたいと思います。

①先週火曜日、群馬での薪能。(虫が苦手な方は②まで飛ばしてください!)

その日は非常に虫が多く、舞台上にもたくさんの大小の虫達が飛んだり跳ねたりしていました。

演者に踏まれないか、ハラハラしながら後見座で見ていると、私の右の袂から何やら虫が袖の奥に入っていく気配が。

しかし舞台上では何があっても大きな身動きなどは出来ません。

「うわ〜!勘弁して!」と内心思いながらもジッと耐えていると、今度は右肘の辺りに刺すような痛みが。

「ぐわ〜!痛い!」と思いながらも更に耐えて、舞台が終わってから急いで見てみると、やはり何かに噛まれたような赤い腫れが出来ていました。。

前に舞台上で鼻の頭に蚊が止まった時もキツかったのですが、今回はそれ以上でした。

②先週水曜日、大阪枚方での薪能。

午後に現地に到着すると、天気は良いけれど非常に強い風が吹いていました。

楽屋テントの「中」で楽屋弁当を食べようとしたら、隙間風で蓋が吹き飛ばされる位の強風です。

薪能「黒塚」で使う作り物の「柴屋」の扉が風で開いてしまうので、テントの固定に使う鉄の杭を扉に縛り付けて重石にしました。

シテ満次郎師は、さすが苦もなく扉を開けておられましたが、何と開けた瞬間に扉を固定する紐が一本切れてしまいました。

地頭の山内師がすかさず気付いて、後見を呼んで予備の紐で結びなおしてもらい、事無きを得ました。

何とか無事終わってホッとした帰り道。

中秋の名月を眺めながら歩いていた私は暗闇の淀川河川敷で水溜りにはまり、草履と黒足袋がどろどろになってしまいました。

駅のホームで足を洗い、残念ながら黒足袋は処分して、羽織袴に裸足で草履という姿で新幹線で東京まで帰る羽目になりました。。

③先週土曜日、熱海のビーチでの薪能。

演出の一環として、私は松明を持ってシテと一緒に船に乗り込むことになりました。

マリーナから出航した船がビーチに乗り上げ、舳先から先ず私が渚に降りて、次に降りて来るシテを松明で照らすという演出です。

出航までは何とか無事でしたが、船上で松明に火を灯そうとした所、着火マンで簡単につく筈の松明が全然つかず。

船頭さんのターボライターも加えて必死で炙り、何とかビーチに到着する直前に点火しました。

やれやれと燃える松明を掲げて、さて船から降りようとスロープを見ると、なんと先端部分が波の中にあります。

「これは袴は明日クリーニングだな…」と瞬間的に思いましたが、波が引くのを見計らって出来るだけ目立たないように最後にピョーンと飛んで降り、これも何とか海中ではなく地面に着地できました。

…といった感じで、「能楽師」は比較的安全な職業とは言いながら、日々小さな危険やアクシデントを乗り越えながら「何とか」仕事をこなしている訳です。

他の人の話ではもっともっとすごいものも沢山ありますが、それはまたの機会に。

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名古屋の道成寺

今日は名古屋能楽堂にて、内藤飛能君の能「道成寺」がありました。

先月初めに、内藤君と東川尚史君と3人で鐘作りをしましたが、ついにその鐘が陽の目を見る時が来た訳です。

名古屋能楽堂は、客席数660で日本一、舞台の広さも通常の三間四方よりも少し大きくとってあります。

それに合わせて天井も水道橋宝生能楽堂よりも1メートル近く高くなっています。

そしてそのサイズに合わせたのか、鐘自体も水道橋のものよりも一回り大きく、いかにも重そうです。

私は3月の宝生会別会に続いて、鐘後見のひとりを勤めることになっていました。

実際に午前中に一度舞台に出して吊り上げてみると…

「う〜ん!」と力を込めて、鐘後見の大の男4人で綱を引くのですが、なかなか思うように上がってくれません。

「これは水道橋よりもかなり重いね…」と鐘後見メンバーは若干不安になりました。

しかし、鐘が上がらないと舞台は始まりません。

途中も、上げる高さを微調整しながら何度も鐘を上げ下げしないといけないのです。

足袋の裏を少し濡らしたり、それぞれちょっとした工夫をして、午後の本番をむかえました。

幕が上がって、狂言方によって鐘が舞台に運ばれて来ます。

やはり3月の時のように、ここで見所のテンションが上がっていくのを感じました。

綱が滑車に通されて、狂言方から家元に渡されます。いよいよ鐘を吊る時が来ました。

「むんっ!」と力を込めると、やはり本番はアドレナリンが出ているためか、午前中よりもスムーズに鐘が上がっていきました。

そうは言っても、やはり重い鐘です。

私は後ろから綱引き役の人を押さえるだけの役でしたが、今回は舞台が終わると手に力が入らない程に疲れてしまいました。。

先月苦労して作り、今日一日必死で上げ下げした鐘も、本番が無事に終わるとすぐに解体されてしまいます。

しかも作るのは2日がかりだったのに、こわすのにはたったの30分しかかからないのです。

今日も記憶に残る良い道成寺でしたが、名古屋の鐘での鐘後見は、次回は若者に譲りたいかも…と、筋肉疲労でちょっとプルプルする指でブログを打ちながら思ったのでした。

能「安宅」の演出

今月22日にある宝生会別会にて、家元は能「安宅  延年之舞」という大曲を演じられます。

私もツレの同行山伏を勤めます。

この「安宅」は、シテ弁慶の他に子方義経、ツレ同行山伏8人、ワキ富樫、間狂言2人と、舞台上に合計13人の立方が登場します。

登場人物がシテ1人ワキ1人だけの能も多い中で、大変華やかな曲だと言えるでしょう。

これらの人々が混乱なく移動して、舞台や橋掛をフルに使って演技をします。

また持ち物や小道具も、「扇」、「数珠」、「笈(おい)」、「金剛杖」など沢山ありますが、これらを実に上手く入れ替えたり回収したり、また渡したりして効果的に使用します。

因みに私が務めるツレ同行山伏の持ち物は、「扇と数珠」→「数珠のみ」→「手ぶら」→「扇と数珠」と変化します。

実は先程、シテ方全員揃っての稽古があったのですが、一曲を通してやってみると改めて「舞台や小道具の使い方、入れ替え方の妙」を感じました。

これは偏に作者の技量なのでしょう。

見所から見るといたって円滑に進む「安宅」は、水面下では演出の細心の心配りによって成り立っている曲なのです。

別会にいらっしゃる方、また今後に能「安宅」を御覧になる方は、その辺りの「妙」もまた味わっていただければと思います。

絶対晴れる!

今週は火曜日群馬、水曜日大阪枚方、土曜日熱海と三ヶ所で薪能がありました。

このうち、水曜日枚方と本日土曜日熱海は、事前の週間天気予報では雨のマークがついていました。

雨の場合は室内の会場が用意されていましたが、やはり外で綺麗な月を見ながらの舞台というのが一番です。

とは言え天候には逆らえません…と思っていたら、逆らえる人がいたのです。

満次郎師「絶対晴れる!雨は降らないことになっている‼️」

今週の三ヶ所の薪能はすべて満次郎師が中心となり、自らシテも舞われる舞台です。

何としても晴れた夜空の下で演能したい、というお気持ちは痛いほどわかります。

週間予報を度々チェックしながら様子を見ていると…

なんと、水曜日の雨マークが前日に外れて、曇りに変わりました。そして当日夜の枚方、淀川河川敷は、中秋の名月が美しく輝く絶好の夜空になったのです。

更に、本日土曜日の週間予報も雨だったのが、雨のち曇りに変わり、そして先程熱海の会場に入る時には、なんとなんと青空が広がって来ていました。

満次郎師の気合パワーは、本当に雨を吹き飛ばしてしまったのです。

全く非科学的ですが、こういうパワーは実際にあるのかも…と思ってしまうほど不思議な、今週三ヶ所の薪能でした。

私も澤風会の前には、気合パワーで雲を吹き飛ばしたいと思っております。

「後見」の難しさ

シテ方が舞台に出る時、次の3つのうちで一番緊張を強いられるのはどれでしょうか?

①シテ、ツレなどの役。

②地謡。

③後見。

おそらく大半の予想は①でしょう。能楽師にこの質問をしても①と答える人が多いと思います。

しかし私にとっては実は③の「後見」が一番緊張するのです。

「後見」とは、紋付袴姿で横板の隅に2人で座っていて、舞台上の事を色々補佐する役割です。

何故私にとって「後見」が一番緊張するのかと言うと…

・シテの装束は基本的に「後見」が着付けるので、舞台の最中に装束が乱れたりしないか、見え具合は悪くないかなど、常に気を配らねばならない。

・作り物の出し入れも「後見」の仕事なので、出す位置が適切かどうか、また途中で紐が切れたり、竹が折れたりといったアクシデントが無いか、これも常に注意を払う必要がある。

・「物着(ものぎ)」と言って、舞台上でシテが着替える時があり、「後見」は衆人環視の中で装束を素早く正確に着付けることを要求される。

これらに加えて、

・舞台の最中に何かアクシデントがあった場合、静観するのか、何らかの対応をするのかを瞬時に判断せねばならない。

更に、

・シテが急な体調不良などで舞台続行が不可能になった場合、替わりに「後見」が続きを舞う。

という事態も有り得るのです。

そして「後見」はこれら全てのことを、

・決して目立たずに、立ち居振る舞いもお客様の印象に残らないように、何気無く行動しなければならない。

のです。

私は今週火曜日の薪能で「船弁慶」の後見を勤めて、また明後日の日曜日には能「大江山」の後見を勤めます。

舞台が円滑に進んで無事に終わるまで、私は非常に緊張して後見を勤めておりますが、それは決して表面には出さないので、ご覧になった皆様の印象には残らない筈です。

皆様の記憶に残らないように、頑張りたいと思います。

秋の訪れ

ここ数日でぐっと涼しくなりました。

火曜日は群馬県で薪能があり、その日は陽射しが強烈で日没まではとても暑く、「まだ夏みたいだ」と思っていました。

ところが昨日の水曜日。

大阪枚方の淀川河川敷で薪能があったのですが、会場に夕方到着すると風がとても冷たく、今シーズン初めて「肌寒い!」と感じました。

そして今日は信州松本稽古。

朝に松本稽古場の会員さんから「松本凄く寒いです。ストーブつけたいくらいです。」とメールが来ました。

特急あずさで新宿を出ると、車窓から見える風景は、例えば刈り入れが済んで稲が架け干ししてある田圃や、ススキが風に靡いているのや、種類によっては早くも赤く色づき始めている木々など、「日本の正しい秋の訪れ」を感じさせるものでした。

そして松本稽古場では、大変大きくて美味しい栗の渋皮煮をいただきました。

会員さん「主人が8時間かけて煮たものです。」

いつも美味しいお菓子を作ってくださる御主人、どうもありがとうございます。

視覚や味覚で秋を感じた一日でしたが、いかんせん極端な暑がりの私のことです。服装は全く夏のままの半袖シャツ一枚で松本稽古場に行き、皆さんに笑われてしまいました。。

しかし私としては、昨日今日のようにちょっと肌寒いくらいが丁度良いのです。

一年で一番好きな秋が、ようやく来てくれました。

これから気温が下がるのと反比例して、私の行動力は増していく筈です。

ますます稽古や舞台を頑張りたいと思っております。

旅をする蝶

月曜日の京都謡蹟散策の解散後に、私は亀岡稽古に参りました。

実はその日の亀岡稽古では、密かに楽しみにしていることがありました。

8月27日のブログに写真を載せた「フジバカマ」を覚えていらっしゃるでしょうか?

この花です。

秋の七草のひとつでもあるフジバカマには、実は10月初旬にある特別な来訪者があるのです。

「アサギマダラ」という蝶です。

私がこの蝶と初めて出会ったのは、中学校の「科学部」の夏合宿で訪れた山梨県の本栖湖畔でした。

都内では見たことの無い綺麗で大きな蝶が、私のすぐ近くで逃げもせずに植物と戯れていました。

しかしその時には、このアサギマダラに非常に特殊な習性があることは知りませんでした。

アサギマダラは「渡り」をする蝶なのです。

春から夏には主に本州の高原地帯に住み、秋になると南へと移動を始めます。

そして本州から九州へ、更になんと大海原を越えて南西諸島まで渡っていくのです。

中には遥か台湾まで2000キロ以上の渡りをする個体もいるとか。

途中は海上に浮かんで休み、栄養補給はしないということです。

なので、海上に出る前に食餌を済ませる必要があるのですが、アサギマダラが蜜を吸う植物は何種類かに限られます。

このうちのひとつが「フジバカマ」なのです。

私は昨年のちょうど今頃の亀岡稽古の時、フジバカマに飛来した沢山のアサギマダラと出会うことが出来て感動いたしました。

今年も出来れば、長い長い「渡り」の途中に亀岡に立ち寄った彼らと会いたいと、密かに願っていた訳です。

ところが、月曜日は本降りの雨。

フジバカマにはアサギマダラどころか、虫の影さえ一匹も見当たりません。

「今年は会えなかったか。また来年だな…」

と残念に思いながら稽古を終えて、帰りがけにお弟子さんにその話をした所、なんと「昨日フジバカマにアサギマダラが来ていて、写真を撮っていた方がいますよ」とのこと。

更に帰りの新幹線でその写真がメールで送られて来たのです。

この先遥か南西諸島を目指す長い旅の途中で、今年も亀岡のフジバカマに立ち寄ってくれたアサギマダラです。

直接は会えませんでしたが、今も飛び続けている筈の彼らの旅の無事を祈りながら、しみじみと写真に見入ったのでした。

来年はどうか顔を見られますように。

澤風会京都散策2

第12回澤風会翌日の恒例京都謡蹟散策。

北野天満宮御旅所の「ずいき神輿」を見学した後、今度は星の神様で方位の吉凶を司るという「大将軍八神社」へと歩きました。

大将軍八神社の前の道は「一条通り」です。

京大正門前の道が「東一条」なので、このままずっと東に行けば京大に辿り着くのですね。

この「一条通り」、大将軍八神社の辺りでは「妖怪ストリート」とも呼ばれるそうで、「百鬼夜行」の通り道と言われたちょっと怖い道なのを逆手にとって、「妖怪」で地域おこしをしている面白い商店街なのです。

例えば商店街の店先にはこんなモノが…


手作り感満載の妖怪人形です。

「鞍馬天狗」は伊達男なのか?と思ってよくよく見れば、「龍馬天狗」なのでした。。

今ちょっとしたブームの「飛び出し坊や」も、ここではこんな感じ。


青鬼くんや…


ろくろ首ちゃん。

こんなのが飛び出して来たら、運転手さん動転してしまいますね。かえって危ないかも…

毎年秋には「百鬼夜行」を再現した妖怪仮装行列も行われるそうで、今年は10月14日の土曜日らしいです。


沿道では「妖怪アートフリマ・もののけ市」なるものも開催されるということで、こちらも今年は無理ですが日程が合う年に是非行って、面白写真を撮りまくりたいと思います。

…「謡蹟巡りはどうした」と言われそうですが、ちゃんと「右近の馬場」や「土蜘塚」、「式子内親王の墓」などを見て回りました。

しかしこれらは有名な場所なので、改めてここで紹介することはないかな、と…。

合間に食べた、太いうどんが一本だけ長〜く繋がっている「たわらや」の「一本うどん」や、上七軒の入口にある「やきもち」が素朴で美味しかったです。

舞台も散策も無事に終わって、今日からまた通常モードです。

次の舞台に向けて、また稽古頑張って参ります。

皆様どうかよろしくお願いいたします。

澤風会京都散策1

昨日はおかげさまで第12回澤風会が無事に終了いたしました。

京都の澤風会の翌日は、大山崎稽古場の会員で、「大山崎ふるさとガイドの会」のメンバーでもある木村さんのガイドによる京都謡蹟散策が恒例になっております。

今日も朝から散策をして参りました。

今回の目玉は、北野天満宮の「ずいき祭」で使用される特殊な御神輿、「ずいき神輿」の見学です。

何でも全体が野菜で作られているとか。

なんとなく、外国の市場によくあるような野菜満載のワゴンを想像してしまいました。

京都駅からJR山陰線で円町へ。そこから徒歩で「北野天満宮御旅所」へ。

境内に「ずいき神輿」はありました。


想像した「野菜満載ワゴン」とは全然異なり、もっと精緻な装飾が施されています。


説明によると、野菜の他に海苔なども使われており、金色に見える部分も「麦わら」を割いて平らにのばした物を貼り付けてあるそうです。

気の遠くなるような繊細な作業です。

また神輿の四方には、野菜や乾物を使った「美女と野獣」や「土俵入り」と言った「作品」が飾られて、なんともユーモラスな雰囲気を醸しています。

境内には「子供神輿」もあって、こちらの装飾はまた子供が喜びそうな現代的なものでした。


なんと「ミニオン」。


パンダも。

この「ずいき神輿」の原型はすでに平安時代からあったようです。

説明してくださったずいき神輿保存会の方は、「本業は農家で、代々ずいき神輿の為の野菜を育てて来た」と仰いました。

この御神輿もまた能楽と同様に、「五穀豊穣への祈り」という遥か先人の思いが、現代まで大切に伝えられた物でした。

「ずいき神輿」は10月5日まで北野天満宮御旅所で見ることが出来ます。

その後は、解体されて元の畑の土に返されるとか。

京都にいらっしゃる方は、このチャンスに是非御覧になる事をお薦めいたします。

散策はまだ続きますので、この先はまた明日に。

澤風会御礼

おかげさまで第12回澤風会大会は無事に終了いたしました。

朝から終了まで私はただ地謡を謡い続けて、舞台上では何も大きな問題は起こりませんでした。

稽古の成果の発揮ということにおいて、これ以上は望めない程の舞台であったと思います。

初舞台や嘱託披露や、様々な状況の中で舞台を無事に勤められた皆様、本当にありがとうございました。

また次の舞台をどうかよろしくお願いいたします。

本日はこれにて失礼いたします。