半年間待つこと
田町稽古場では、今日から新しい謡「花筺」を稽古します。
能「花筺」のシテ「照日の前」は、子方「男大跡辺皇子(おおあとべのおおじ)」の寵愛を受けて幸せに暮らしていました。
ところがある春の日に突然皇子は、一通の手紙と花籠を残して、天皇になるために都へと旅立ってしまいます。
手紙には「少しの間離れ離れになるけれど、必ずまた会える日を信じて、待っていてほしい」と書かれていました。
しかし、次に二人が再会するのは秋のことです。その間半年、照日の前は皇子に会うことも、連絡をとることさえも出来ずに待たされ続けた訳です。
その半年もの長い空白を経て再会した二人が、また元のように幸せになれたのは、現代人の私からすると驚くべきことです。
現在であれば、メールやラインで常に連絡を取り合い、半年間メールもラインも全然来ない場合、まあ途中で怒るか諦めるかしてしまいそうな気がします。
現代に於いては「花筺」のような物語は起こり得ないな…と思ったら、ちょっと設定は違いますがあるエピソードを思い出しました。
奇人変人揃いの京大宝生会OBの中でもとりわけユニークなI君。
ある日同じ京大OBで京都在住のK君の元に、I君から連絡がありました。
「原付バイクで神奈川を出発して、京都方面に旅行します。4月頃にそちらに行くので、泊めてもらえませんか?」
もちろん快諾したK君ですが、待てど暮らせどI君はやって来ません。4月が過ぎ、夏が来て、夏も終わり、秋になってようやくI君はやって来たそうです。
何故か紀伊半島先端の串本などを経由していて、遅くなったとか。
半年遅れても平然と現れるI君と、それをそれほど驚きも起こりもせずに迎えたK君。
京大宝生会に於いては、平安時代と同じように時間が緩やかに流れているのですね。
しかしこちらの話は二人とも男子なので、花筺のようにロマンチックなことは全く無いのが残念なのでした。。