道成寺の磁力

ずっと以前のテレビ番組で見たのですが、道成寺の鐘入りの瞬間、シテの脈拍は200を超えているそうです。

道成寺という曲はシテに極度の緊張を強いるという事の、ひとつの証明なのでしょう。

しかし道成寺という曲はシテのみならず、かかわる全ての人に特殊な緊張感をもたらす特別な曲なのだと思います。

シテ方で言えば地謡、後見、鐘後見。

それに加えてワキ方、囃子方、狂言方それぞれが等しく、道成寺を成立させる為に重要な役割を担っているのです。

また鐘を作る内弟子も、非常な責任感と労力を持って鐘作りをします。

これら各役割の中のどこか一箇所でも間違いが起こると、曲に重大な影響が出てしまうのです。

各人が等しくこのように濃密な関わり方をする曲は、ちょっと他には無いと思われます。

道成寺が始まって幕から鐘が出て来る瞬間、能楽堂全体が異様な磁場に包まれる感じがします。

これはこの曲に携わった全ての人間の独特な緊張感が合わさって、それが見所にも伝わって、居合わせた人の五感で感じることの出来るまでに高揚した結果なのだと私は考えます。

今日も水道橋の別会において道成寺がありました。

私は鐘後見の1人として、この神経が削られるような緊迫感を味わって参りました。

しかし道成寺はその緊迫感があるが故に、無事に終わった時の達成感、安堵感もまた特別なものがあるのです。

今日も幸いな事に、全ての苦労が報われる素晴らしい舞台となりました。

内藤飛能君、おめでとうございます。

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