二枚の鏡板の話 その2
・江古田舞台の鏡板
私は中学校に入る少し前に能の稽古を中断しました。
再び能を始めたのは大学で京都に行ってからです。それから色々あって能楽師になりました(その辺りはまた別の機会に)。
そして能楽師として渡雲会の初会(新年会と同じ意味です)に呼ばれた時に、渡雲会舞台の鏡板と久々に再会しました。
最初に見てから30年はたっていて、古色が出て風格が増していました。
その頃には色々な舞台の鏡板の松を見ていたので、明確に「この舞台の松は落ち着いて品があって、実に良いなあ」と思いました。
ちょうどその頃、江古田にある私の実家に舞台を作る話が持ち上がりました。
実家は普通のマンションで、私が小学六年生から大学入学まで過ごした場所です。
この3LDKの部屋の壁をそっくり無くすと、ギリギリ三間四方の舞台が作れたのです。
舞台を作る計画段階で母親は、「鏡板には渡雲会舞台を写した松を描きたい」と心に決めていたようです。
渡辺先生の御許しをいただき、複製は美大の日本画専攻の学生さんにお願いしました。
学生さん達は実に良く頑張ってくれて、あの松の落ち着きと品までも正確に写した江古田舞台鏡板が完成しました。
しかし一箇所、梅の枝が本物よりも大きく張り出している所があります。「一箇所だけ、独自性を出したい」との学生さんの意向で、この梅が江古田舞台の特色になっています。
その後、渡辺先生は2013年の夏に95歳の天寿を全うされました。
そして三回忌にあたる2015年夏、渡雲会舞台を閉めるという報せが来たのです。(続く)