一曲を一人で謡うこと
田町稽古場では、これまで稽古していた「海人」の謡が終わって、新しい「融」の稽古に入ろうとしています。
今日は一回分の稽古時間を使って、私が融を一人で一曲通して謡うのを聴いてもらいました。
これは江古田と田町の団体稽古だけでやっている事です。
私はこの「一人で一曲を通して謡う」という事には大切な意味があると考えます。
初心の方には勿論難しいのですが、つかえながら謡っているうちに、例えばクリ、サシ、クセ、ロンギとか一セイ、サシ、下歌、上歌と言った定型の謡が一曲のどこに出てくるのか、また謡方のパターンもわかって来ます。
上級の方でも、一人で沢山の役と地謡を謡う事で、より繊細な位取りが謡い分けられるようになって行くと思います。
更に、特に変則的な構成の曲の場合、一人で通して謡うと、その構成に秘められた作者の意図が見えてくることがあります。
何より、最初からずっと謡っていくと、曲のクライマックスに向かうにつれて独特の高揚感を感じることが出来ます。
この高揚感こそが謡の、能の醍醐味だと私は思うのです。
一曲稽古が終わったら、忘れないうちに通して一人で謡う事を是非おすすめします。
特に学生には事ある毎に、そうするように言っています。
もし謡ってみて詰まる所や気づいた事があれば、次の稽古でどうか気軽に質問してみてください。
「一人で通して謡って、ここがわかりませんでした」と質問されたら、私は多分相当嬉しそうな顔でお教えすると思います。