兼平と比叡山
今回はまた兼平にまつわる話です。
能兼平の前シテは、ワキに対して比叡山の事をとても詳しく説明します。
その語りの中で、比叡山を「我が山」とまで言っています。
おそらく兼平にとって比叡山はそれ程に大切な場所だったのです。
木曽義仲は、倶利伽羅峠の合戦で10万騎の平家軍を打ち破り、破竹の勢いで京都を目指します。
しかし都を目前に最後の難関となったのが比叡山延暦寺でした。
白河法皇をして「賀茂川の水、賽の目、比叡の山法師だけは意のままにならず」と言わしめた一大勢力の延暦寺と何とか手を結んだ義仲は、比叡山頂に陣を構える事に成功します。
これが決定打となり、栄華を誇った平家は都を追われて西国に落ちていくのです。
その先を考えると、義仲が人生最も希望に満ちていたのは比叡山上だったと言えると思います。
都入りを目前にした義仲と兼平は、期待と充実感の中で比叡山頂から京都と近江の下界を見下ろしたのでしょうか。
しかしその都入りからわずか1年足らずにして、義仲軍は比叡山を間近に見る粟津原で終焉を迎えるのです。
最期の戦いの最中、兼平が比叡山を見上げる瞬間が果たしてあったのかはわかりません。
しかしともかく前シテの老人は、能の定型を無視して自らの本性を全く明かさずに、比叡山とその周辺だけを大切に物語って中入します。
自分の事よりも、主君が絶頂期を過ごした場所を先ず語りたい。「自らの存在よりも大切にしたいものがある」というのが、能兼平のテーマな気がします。