高校生になると

今日の神保町稽古場には、先月の澤風会郁雲会で能「敦盛」ツレを勤めた男の子と女の子が来てくれました。

2人とも会うのは澤風会以来で、約1ヶ月ぶりになります。

2人別々に来たのですが、それぞれ一目見た瞬間に「おぉ…!」と驚いてしまいました。

なんだか雰囲気が変わって急に大人びて見えたのです。

実は2人とも、この4月から高校生になりました。

よく「立場が人を作る」と言いますが、中学生から高校生になるとこんなに雰囲気が変わるものかと感心しました。

とは言え、仕舞の稽古を始めて会話をしてみると、内面は前と殆ど変わっていなかったので逆に安心いたしました。

私の高校時代を振り返ってみると、今の自分に繋がる大事な出来事をたくさん経験した3年間でした。

きっと彼らもこれからの高校生活で、そんな大事な経験を積みながら、内面的にも成長していくのでしょう。

稽古を通じて彼らの成長を見ていくのが楽しみです。

希望に満ちた出発

春は色々と移動の季節です。

先日ブログに書いた松本で稽古していた女の子は、留学先のカナダに先週旅立っていったそうです。

また京大宝生会OGの1人は、やはり留学でオランダに一昨日出発したと聞きました。

カナダもオランダも距離的には遥かに遠いのですが、何故か別れの寂しさはほとんどありませんでした。

どちらも自分の意志での留学で、希望に満ちた出発だったというのがひとつ。

また現代では海外ともビデオ通話が容易であり、コロナ禍も明けたので、来年以降くらいにカナダやオランダに行って能楽公演、というのも可能なのです。

翻って今稽古している能「昭君」では、子方の王昭君は心ならずも遠い異国に旅立つ事になり、嘆き悲しむ両親と二度と会う事もなく異国の地で悲劇の生涯を終える事になるのです。

能には理不尽な話が多くありますが、この「昭君」を稽古していると、現代日本に生まれた自分の幸せをしみじみと感じてしまいます。

先ずは留学した2人の海外での活躍を祈りつつ、出来る事ならカナダかオランダでの再会を願っております。

お休みを挟んでも

澤風会稽古をしていて嬉しいと感じる瞬間のひとつに、

「しばらくお休みだった方が久しぶりに稽古場にいらして、稽古を再開された時」

というのがあります。

今日の江古田稽古場にも、約半年ぶりに仕舞稽古を再開されるという会員さんが来られました。

「稽古の準備のやり方や色んなことを忘れてしまったようで…」

と最初はやや戸惑い気味でしたが、仕舞稽古を始めて少しするとすぐに感覚を取り戻されたようで、ブランクを全く感じさせないスムーズな舞でした。

今日は他にも、

「しばらく謡稽古だけだったけれど、今日から仕舞もお願いします」

という方や、逆に久しく仕舞だけの稽古だったのが、

「今日から謡も再開したいと思います」

という方もいらっしゃいました。

こういう嬉しい事が度々あると、稽古の疲れも吹き飛んでしまいます。

皆さん無理の無い範囲で、お休みを挟みながらでも、長く稽古を続けていただきたいと願っております。

アクティブな皆さん

今日は松本稽古でした。

2月18日のブログで、松本稽古をお休みされる方々のお休みの理由が、

「種子島でH3ロケットの発射を見るので」

「雪山でイグルー作りの講習会をするので」

「世界一周旅行をするので」

というそれぞれ大変羨ましいものである事を書きました。

今日の松本稽古場には、種子島でロケット打ち上げを見た方や、雪山イグルー作りの達人がいらしてくださいました。

そして世界一周旅行の方も、約1か月の旅行を終えて無事帰国されたと聞きました。

皆様お元気そうで何よりでした。

イグルー達人の方は、昨日まで雪山に入っておられて、まだ今シーズンもう一度イグルー作りに山に行かれるそうです。

寒い冬もアクティブに乗り切られた松本稽古場の皆様です。

これから春になって、一層精力的に動いていかれることでしょう。

また色々な面白いお話を聞かせてもらいたいと楽しみにしております。

2件のコメント

能楽師に限らず…

大きな舞台や難しい役が近づくと見る夢があります。

昨夜も見ました。

昨夜のは舞台の正中で”引き分け”という型をした所で、次のシテ謡が全く出て来なくなり、見所が次第にザワザワし出す、という内容でした。

この手の「悪夢」は、他の楽師もよく見ると聞いた事があり、「能楽師」という職業に特化した夢かと思っていました。

しかし先日、そうとは限らないと思う出来事があったのです。

3月の澤風会郁雲会の能「敦盛」でツレを勤めた中学生高校生のうちの2人が、本番が近くなった頃に同じような「悪夢」を見たと話してくれました。

「舞台の上で謡が止まっちゃって、どうしよう…ってなる夢を見たんです」

「あ、それ私も見た!」

という感じです。

どうやらこの「悪夢」は、能楽師に限らず舞台に真剣に向き合っている人が本番近くに見る、という夢なのでしょう。

ちなみに私の経験では、この「悪夢」を見るか見ないかで、舞台の出来に影響は無いと思われます。

先日の能「敦盛」でもツレは皆とても良い出来でした。

京大や自治医大などにも、この手の夢を見た人がいるか聞いて見たいと思います。

卒業式の教室のような…

今日は江古田稽古でした。

江古田で稽古するのは澤風会郁雲会の前日の3月8日以来で、約3週間ぶりになります。

稽古場に到着すると、前回まであったダンボール箱などを組み合わせて作られた「砧」の作り物や、厚紙や竹の棒で作られた「野宮」の作り物は綺麗に片付けられていました。

収納を開けると、「敦盛」で使っていた稽古面がポツンと置いてありました。

「そうか、あれらの曲はもう稽古しないのか…」

と何だか少し感傷的な心持ちになり、この感覚どこかで…と思い返してみると、「卒業式の日の教室」のような感じだと思い至りました。

色々片付けられた教室を見渡すと、さっぱりしているけれど何かさびしい気持ちになったのを思い出します。

…しかし、感傷的になったのはほんの一瞬でした。

今日から「奥伝」の難しい謡に取り掛かる人や、長い仕舞に挑戦することにした人など、皆さん早速次の目標を立てて新たなスタートを切られました。

当面は大きな舞台はありませんが、こういう時期こそ難易度の高い曲をじっくり稽古できるのです。

私もしばらくは稽古に集中して、また新たな気持ちで頑張って参りたいと思います。

人は城 人は石垣

今日の昼にリモート稽古をしたのは、江古田でボイストレーナーをされている方です。

他にも色々な仕事をされているパワフルな方で、今日も私のリモート稽古の直前まで、やはりリモートで日本語会話のレッスンをされていたそうです。

どちらの国の方を教えていらしたのですか?と尋ねてみると、

「アメリカのユタ州の銀行員の方です!」

行ったことの無い外国の人と、レッスンでつながれるのは良いですね。いつかそこに行けるかもしれないし。と言ってみると、

「そうですね!でも今のところ逆に、彼らが日本に来た時に色々と歓待してしまって、結局赤字なんですよ。アハハ!」

と明るい声で答えが返って来ました。

これと似た話を最近松本稽古場でも聞きました。

北アルプスの麓でハーブ栽培をされている松本澤風会会員さんは、100人規模の栽培グループの代表として数100種類ものハーブを育てて県内のリゾートホテルやレストラン、カフェなどに出荷しておられます。その方が、

「栽培や出荷の作業は本当に大変なのですが、収入度外視なので、結局月に1人数100円の儲けにしかならないのですよ」

と、穏やかな笑顔で話されていたのです。

お2人の話を聞いて、

「人は城、人は石垣…」

という武田信玄の有名な言葉を思い出しました。

海外の方との関係や、あるいは100人もの栽培グループメンバーとの繋がりは、金銭的なものよりもよほど貴重で実りのあるものだし、それによって助けられたりする事もきっと多くあると思うのです。

そういう姿勢は私も見習いたいと強く思いました。

澤風会や郁雲会の皆様には教えられる事が多く、いつも感謝しております。

世界に向かって

松本稽古場で4歳からずっと稽古をしていた女の子がいます。

中学生になる時に松本から海の近くの町に引っ越して、稽古はそこでお休みになりました。

その翌年の年賀状には、太平洋が広がる砂浜で大きな犬と遊んでいる女の子の写真がありました。

さらに高校生になる時には、親元を離れて遠くの県の全寮制高校に入学すると聞いて驚いたものです。

それが去年の春のお話。

そして今日、松本稽古場で夕方からいつものように稽古を始めて少し経った時、稽古場の扉が開いて3人の人影が見えました。

私は謡を謡いながら、正に眼を丸くしてしまいました。

その女の子とご両親だったのです!

松本から引っ越して以来なので4年ぶりに、しかもなんの予告も無く来てくれたわけです。

顔つきだけは変わらず、しかし背は私よりも高くなっていてそれもビックリでした。

稽古が一段落して改めて対面した私は驚きのあまり、

「いやいやいや…!」

と言葉にならない状態でいました。

すると女の子の方がしっかりした声で、

「この度は先生にご挨拶があって来ました。

実は来月から高校卒業まで、カナダに留学することになりました」

いやはやただもう驚くばかりです。

小さな頃から多方面で非凡な才能のある子供でしたが、高校から世界に出て行くとは想像の斜め上を行っています。

しばし話してようやく落ち着いた私は、

「せっかくカナダに行くなら、何か仕舞を思い出して、向こうで披露したら?」

と提案してみました。

女の子は嬉しそうに賛成してくれて、4年ぶりに一番短い「絃上」を稽古しました。

地謡も私が謡うのを録音して、これできっとカナダの人達の前で舞ってくれるはずです。

私「帰って来たらまた顔見せて、お土産話聞かせてください!」

女の子「はい!先生もお身体に気をつけて」

終始本当にしっかりとした話し方で、実に頼もしく成長したものだと感心しました。

世界に向かって飛び出していく女の子の益々の活躍を祈りたいと思います。

驚きが醒めないうちに新しい見学の方もいらしたりして、今日の松本稽古はなんだか盛りだくさんでした。

ステップアップの先に

澤風会郁雲会大会から、あれよと言う間に一週間が経ちました。

ちょうど一週間前の今頃は、能「野宮」が佳境にさしかかるところだったと思います。

野宮のシテを舞われた郁雲会の会員さんは、これまでに能「半蔀」、「野宮」、「井筒」ときて今回は2度目の「野宮」の能をされたのです。

一方で大会2日目に能「砧」を舞われた郁雲会の会員さんは、これまで能「玉葛」、「松風」を勤められて、今回「砧」を舞われました。

「半蔀、野宮、井筒、野宮」

という並びと、

「玉葛、松風、砧」

という並びを見較べてみると、明らかな曲の好みの傾向が浮かび上がってきます。

そしてどちらの方も、より向上していこうと言う確固たる意志が感じられる選曲順になっています。

自分の好きな曲の中から、段々と難しい曲にステップアップしていかれた結果、今回の「野宮」や「砧」という難曲にまで到達された訳で、これは並大抵の努力や修練では成し得ない偉業と言って良いと思います。

能の道には極まりが無いので、「野宮」や「砧」のまたその先の曲を目指して歩みを進めていただきたいと願っております。

しかし先ずは今回素晴らしい「野宮」と「砧」を舞っていただきまして、誠にありがとうございました。

澤風会稽古リスタート

今日は大会明けの初めての澤風会稽古が神保町でありました。

謡は早速新しい曲「昭君」の鸚鵡返しをしました。

仕舞も新しく「小歌」を始めた人や、しばらく仕舞お休みだったのが今日から再開して「小督」の仕舞を稽古した人など、それぞれがリスタートを切った形です。

とは言え、まだ大会の余韻も残っております。

私「先日の澤風会郁雲会の宴会に出られなかった方もおられるので、来月あたりに神保町組だけの打ち上げ宴会を改めてしませんか?」

全員「「是非やりましょう‼︎」」

…まあ、当面は舞台も無いのでゆるゆるとスタートして、徐々にギアを上げていけば良いと思っております。