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第7回東京澤風会・郁雲会大会を開催いたしました

ちょうど1週間前の9月21日、渋谷のセルリアン能楽堂にて「第7回東京澤風会・郁雲会大会」を開催させていただきました。

本来は3月7日開催予定でしたが、コロナウイルスの影響で5月に延期、それも開催出来ずに再延期していた舞台でした。

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出来得る限りの様々な感染防止対策をとって開催いたしました。

しかし、万が一にも澤風会大会で感染者が出たら大変なことなので、開催後のこの1週間はドキドキしながら過ごしておりました。

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幸いなことに、最も長く能楽堂にいた私自身全く健康であり、参加された方々も皆様お元気なようです。

ブログに書くのも1週間は様子を見てからにしようと思っておりましたので、ご報告が遅くなりましたことお詫び申し上げます。

これから会のことを何回かに分けて書いて参りたいと思います。

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先ずはご出演いただきました先生方、また毎回駆けつけてくださる京大宝生東京OB会の皆様、ご参加いただいた澤風会郁雲会会員の方々、そして見所で応援してくださった皆様、さらに感染防止対策など様々なことで全面的にお世話になりましたセルリアン能楽堂スタッフの方々に心より御礼申し上げます。

「竹生島合宿」から1年

去年の今日9月11日、京大宝生会は能「竹生島」に向けた合宿を琵琶湖畔で行っていました。

今頃の時間はその合宿のメインイベントである「竹生島クルーズ」を終えて、大満足で帰港していたと思われます。

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能の効用のひとつに、

「行かずして名所を知る」

というものがあると、先日の「いとうせいこう能楽紀行」の折にいとうさんとお話しいたしました。

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しかし去年の「竹生島合宿」はその逆で、京大宝生会は、

「名所に行って能を知る」

という体験をしたのです。

あの「竹生島合宿」によって、能「竹生島」への理解が飛躍的に深まり、舞台へのイメージも果てしなく膨らんでいきました。

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また違うパターンもあります。

もう4年半ほど前になりますが、「澤風会15周年東京大会」という舞台で、松本澤風会の3人の会員さんで能「竹生島」を演じていただきました。

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3月にその舞台が無事終わった後のゴールデンウィークに、その竹生島を演じた前シテ、後シテ、ツレの3人で「竹生島クルーズ」に出掛けたそうなのです。つまり、

「能で知った名所を旅する」

という体験で、これは普通の旅行では決して得られない感動があったことと思います。

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このように「能と旅」という2つの要素の組み合わせには色々なバリエーションがあり、それぞれ異なる楽しさがあると思うのです。

今はまだ自由自在に旅行出来る環境ではありませんが、状況は徐々に改善されています。

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再び自由に旅に出られるようになったら、また能楽に関わる場所を色々訪れてみたいです。

京大宝生会とも、また充実した「能合宿」に行ってみたいと思います。

「歌占」の後には…

先月の五雲会での「兼平」を終えた後に、興奮が持続して眠れなくなったというお話をブログに書きました。

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なので3日前の日曜日に七宝会にて能「歌占」を終えて、「今回はどんな状態になるのだろうか…?」と自らの成り行きにちょっと興味を持っていたのです。

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翌日の月曜日は「第7回澤風会郁雲会」の申合があり、七宝会を終えて三ノ輪の自宅に帰るとすぐにその準備などに追われてバタバタと過ごしました。

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澤風会郁雲会申合を終えても、その翌日火曜日(昨日です)は朝から宝生能楽堂にて動画配信の撮影があり、午後からは西荻窪稽古と夜まで気の抜けない時間が続きました。

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西荻稽古まで無事に終えて、昨晩自宅に帰ると、非常な眠気に襲われました。

「兼平」の時とは対照的です。

幸い次の予定は水曜日(今日です)の夜の田町稽古までありませんでした。

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「どこまで眠れるか試してみよう」

と思って布団に入りました。

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…それから記憶は無くなり、途中何度かぼんやりと目が覚めましたが、

「まだ眠りたい…」

と二度寝、三度寝を繰り返しました。

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…そしてようやく、

「ああ、すっきりした」

と起き上がったのは17時過ぎだったのです。。

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昨夜布団に入った時間を考えると、17時間近く眠ったことになります。

もちろん「歌占」のシテの感覚はすっかり抜けていました。

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眠れなくなった「兼平」と、起きられなくなった「歌占」。

同じシテを舞った後に、何故こうも正反対な状態になるのか、我が身ながら実に不思議に感じます。

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来月の五雲会ではまた能「龍田」のシテを勤めます。

今度はどんな状態が待っているのか、実に興味深いところです。

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七宝会での能「歌占」無事終了いたしました

本日香里能楽堂にて「七宝会」が開催され、私は能「歌占」のシテを無事に勤める事が出来ました。

コロナウイルスに加えて台風10号の影響もある中で、驚くほど大勢の方々にご来場頂きました。誠にありがとうございました。

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約3週間前に「兼平」を終えて、その後今日までブログの更新が滞っており、誠に申し訳ございません。

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「歌占」という能は大変に魅力的で興味深く、稽古段階からブログのネタには事欠かない曲ではありました。

しかし、それ以上に謡も舞も非常に「手強い」曲でもあったのです。

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「兼平」の後からの短期間でこの手強い曲と真正面から向き合うのは、かなり神経を使うことでした。

またそれと並行して、間もなく開催予定である、延期されていた「第7回澤風会郁雲会」の開催に向けた稽古や準備も色々とする必要がありました。

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諸々と削ぎ落とされたあとのギリギリの時間を総て「歌占」に注ぎ込んで、この3週間を過ごしました。

舞台上で実際に”神懸かり”になることを目標にして稽古して参りましたが、そのように見えたかどうか、またご覧になった方々に伺ってみたいものです。

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今は東京に戻る新幹線です。

この中でひと休みして、明日はいよいよ澤風会郁雲会の申合です。

また気持ちを入れ替えて、帰って明日への準備を進めたいと思います。

兼平のアドレナリン…?

いつも能を一番舞い終えた後には、その曲のシテが”抜けていく”感覚を味わいます。

何とも形容が難しい、虚脱感とでも言うようなものです。

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それが一昨日の土曜日の能「兼平」の後には、これまでと少々異なる状態になりました。

舞い終えた疲れを感じながら三ノ輪の家に帰り、食事をして早めに休もうとすると、何故か布団の中で気持ちが高揚して全く眠れなくなってしまったのです。

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精神の高揚感とともに、身体的な疲労も何処かにいってしまったようで、

「なんだか今からもう一回”兼平”を舞えそうだな…」

とまで思えるほどに不思議に力が湧いて来たのです。

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しかしそうは言っても、もう寝るしかする事がありません。

「今回は体調管理がよほど上手くいって、ダメージが少なかったのだろう」

と思い、何度も寝返りを打ちながら眠れぬ夜を過ごして、深夜になってようやく眠る事が出来ました。

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翌日の日曜日には、正午から夜まで遠隔稽古の予定が詰まっておりました。

干した胴着類の片付けもあり、朝ちょっと早めに目覚めて起き上がろうとすると…

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なんと今度は全身が著しい脱力感に覆われており、立ち上がるのも一苦労という状態になっていたのです。。

つい数時間前に感じた湧き上がるような力は、すっかりどこかに消え失せてしまっていました。

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「寝ている間に”兼平”が抜けていったのか…」

と思いながら、鉛のように重い身体を引き摺って遠隔稽古場に向かったのでした。

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そして夜までなんとか遠隔稽古をして、今度は帰ってから倒れるように熟睡しました。

明けて今日、幸いに脱力感は消えてすっかり健康体に戻っていたのです。

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考えてみるに、兼平のように力強いシテを舞うと、きっとアドレナリンのような体内物質が多く分泌されるのでしょう。

それが残っているうちは興奮状態で眠れなくなり、物質が消えると一気にダメージが来るのではないでしょうか。

科学的根拠はありませんが…。

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ちなみに次にシテを舞う「歌占」では、曲中でシテが神がかって激しく舞い、最後に神が抜けて脱力するシーンがあります。

今回味わったのはおそらくそれに近い感覚かもしれません。

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「兼平」は終わった後に貴重な経験を残していってくれました。

兼平無事終了いたしました

本日水道橋宝生能楽堂にて「五雲会」が開催され、私は能「兼平」を無事に演ずることができました。

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このような大変な状況の中、また猛暑にもかかわらずご来場頂きました皆様誠にありがとうございました。

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かれこれ半年近くにわたって追求して来た私なりの「兼平」のイメージを、なんとか表現出来たかと思っております。

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今回はなにより”暑さ”が問題でした。

「兼平」の演能予定時間が14時〜15時20分。1日で最も気温が高い時間帯です。

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そこでとにかく暑さに慣れようと、ここ数日はあえて14時頃に外を歩いて汗をかくようにしていました。

本番でその効果はあらわれてくれたようです。

楽屋で装束と面をつけると流石に汗が噴き出て来ましたが、「外を歩いている時の暑さよりはマシだな」と思うことができたのです。

1年で最も暑い時期に能を一番舞い切ることも、また貴重な経験になりました。

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「兼平」は無事に終わりましたが、来月初めには大阪の「七宝会」にて能「歌占」のシテが控えています。

これからは「歌占」に素早く気持ちを切り替えて、また新たな稽古に汗を流して参りたいと思います。

本日お越しくださいました皆様、重ねて御礼申し上げます。

ありがとうございました。

兼平いよいよ明日です

今年の夏もいよいよ一番暑い時期を迎えて、毎日茹だるような猛暑です。

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その猛暑の中、明日8月15日には「五雲会」が開催されます。

私は能「兼平」のシテを勤めます。

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本来なら4月15日に開催予定の舞台でした。

それが延期になってから4ヶ月、世界も私の身の回りも激動の時間を過ごしました。

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その激動を乗り越えて、何とか本番を迎えることができそうです。

昨日申合が終わり、今日は先ほど水道橋宝生能楽堂で最後の稽古を終えました。

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あとは本番に備えてゆっくり休んでコンディションを整えます。

明日も間違い無く猛烈な暑さになりますが、その猛暑に負けぬような熱い「兼平」を演じたいと思います。

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皆様どうか御来場賜りますようよろしくお願いいたします。

五雲会8月15日正午始 宝生能楽堂

能「右近」田崎甫

能「兼平」澤田宏司

能「草薙」今井基 ほか

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七葉會から七曜会へ

昨日水道橋宝生能楽堂にて「七葉會」を無事に終えてから、私はすぐに新幹線で京都に移動いたしました。

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そして今朝からは京都観世会館にて、金春流太鼓のお社中会「前川七曜会」に出演して参りました。

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澤風会会員の方による居囃子「遊行柳」を始め、大変に熱のこもった素晴らしい舞台でした。

小学生の女の子2人による連調から、大ベテランの方による超ハイレベルな舞台まで、一曲が終わる度に見所からあたたかい拍手がおくられておりました。

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先週末から、今の状況に負けないための多くの努力をした上で開催された、たくさんの舞台に立たせていただきました。

その経験から私は今後への希望を感じております。

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次の私の舞台は、今週末8月15日土曜日の「五雲会」にての能「兼平」のシテになります。

この舞台も可能な限り多くの方々に楽しんでいただけるように、稽古と安全対策に万全を期して参りたいと思います。

皆様どうかよろしくお願いいたします。

七葉會無事終了いたしました

本日水道橋宝生能楽堂にて、「七葉會」の舞台が無事に終了いたしました。

この大変な状況下にもかかわらずいらしていただきました沢山の皆様に、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。

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ひとつの舞台を企画してから本番を迎えるまでに、「中止されずに開催されること」をこんなにまで祈った舞台は初めてでした。

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様々な感染防止対策をとりつつも、直前までニュースの感染者数などに一喜一憂する毎日でした。

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何とか始曲にこぎつけて、久々にシテとして舞う舞囃子「井筒」の舞台に立ちました。

舞台上では、実際に生身で正対するお客様の微妙な空気感を肌で捉えながら舞うということの大切さ、難しさを改めて感じました。

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やはり生の舞台あっての能役者なのです。

今日の舞台が無事に開催出来て、多くのお客様にいらしたいただけたことは、重ねて本当に有り難いことだと思います。

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終了後にはいつもはロビーに出ていきますが、今回は屋外のスペースで距離を保って御挨拶をさせていただきました。

懐かしい七葉会会員の皆様にたくさんお会いできて、これもまた嬉しいことでした。

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全てが終わって着替えてから、七葉會の7人は再び楽屋に集合しました。

次回以降の「七葉會」のことを話し合ったのです。

そして来年中に第2回の「七葉會」を開催しようという意見でまとまりました。

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日時、番組などはまた決まりましたらお知らせいたします。

大変な状況はまだ終わりが見えませんが、我々7人は何とか前を向いて歩いて参りたいと思います。

皆様今後ともよろしくお願いいたします。

能楽における「広葉樹林」

皆様ご無沙汰しております。私は変わらず元気に過ごしております。

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今からちょうど2週間前のことになりますが、大阪で観世流大鼓方の森山泰幸さんのお社中会に出演して参りました。

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実は私の社中会「澤風会」の会員の中で、何人かが森山師に大鼓を習っているのです。

きっかけは一昨年の澤風会京都大会で、そこで森山師に大鼓を打っていただいたご縁で大鼓を始めた人から徐々に増えていったのです。

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今回の出演者の中には大鼓における「初舞台」の人もいて、その大切な初舞台の地謡を謡うのはとても緊張いたしました。

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この大変な時期に何とか無事に舞台を終えられたことは、森山師のみならず私にとっても非常に有意義でありがたいことでした。

そしてまた、この舞台は別の意味で私にとって嬉しい意味を持っていたのです。

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澤風会で長い間仕舞や謡を稽古していた人達が、澤風会の舞台で出会った大鼓方森山師に弟子入りする。

そしてその森山師の大鼓の会に、私が地謡として呼んでいただける。

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これは私の能楽における活動が森山師の活動と融合して、ひと回り大きく、またより豊穣な世界に踏み出した一歩なのだと思うのです。

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森山師のお社中には、もちろん宝生流以外の方々が多くいらっしゃるでしょう。

そういった方々と澤風会が交流することで、能楽界全体に通じる新しい活気が僅かでも生まれていくのではないでしょうか。

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森林に例えてみます。

「杉」しか植えられていない単一な植生の針葉樹林があるとします。

林床は暗く、生き物の気配は希薄です。

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一方で「橅」「楢」「楓」「栃」「朴」などの多様な種の木々が群生する広葉樹林。

そこには豊かな山菜や茸が生えて、動物達も集まり、たくさんのドラマが生まれていくのです。

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私というシテ方と、森山師という大鼓方。

2人の異なる種の能楽師がこの先に互いの社中会を盛り立て合っていけば、きっとそこからまた新たな縁が芽生えていくことでしょう。

そしてそれは私の能楽人生における理想の姿なのです。

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今回コロナ禍の中で万全の対策をして会を催していただいた森山師に心より御礼申し上げます。

今後ともよろしくお願いいたします。