五雲会の能「舎利」無事終了いたしました

本日五雲会にて能「舎利」が無事に終了いたしました。

ご遠方からの方々も含めて、たくさんの皆様にお越しいただきまして、誠にありがとうございました。

能「舎利」の感想はまた改めて詳しく書かせていただきます。。

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今年の私のシテは今日で全て終わりました。

一応ホッと一息なのですが、今は新幹線で関西に移動中です。

明日は香里園能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されて、京大宝生会は能「経政」を出すことになっているのです。

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明日は学生達にとってはある意味、人生の中での山場の1日になるわけです。

私はその1日が少しでも充実したものになるように、頑張ってサポートしたいと思います。

1700年をかけて…

今日は宝生能楽堂にて能「舎利」の最終確認の稽古をして、チケットのことなど諸々の準備を済ませました。

あとは明日の本番を待つばかりです。

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「舎利」に関して、かねてより疑問に思うことがありました。

「シテ足疾鬼はお釈迦様の入滅の後、泉涌寺に現れるまで何をしていたのか?」

ということです。

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お釈迦様の入滅の時期は、諸説あるようですがおよそ紀元前500年前後のようです。

一方で京都泉涌寺に大陸から”牙舎利”がもたらされて舎利殿に祀られたのは、泉涌寺ホームページによれば1228年のことだそうです。

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つまり釈迦入滅から舎利が泉涌寺に来るまでには1700年ほどの時間差があることになります。

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足疾鬼は釈迦入滅の時に、一度は仏舎利を奪いながら韋駄天に取り返されます。

その時の戦いのダメージから回復するのに1700年かかった可能性はあると思います。

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1700年をかけて完全に復活して、満を持して泉涌寺に向かった足疾鬼。

しかし彼は能「舎利」の最後でも、またしても韋駄天に舎利を取り上げられて、「力も尽き、心も茫々と…」という精根尽き果てた状態で去っていくのです。

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このダメージからの回復にまた1700年かかると仮定すると、足疾鬼が次回舎利を奪いに来るのは西暦3000年くらいになる予定です。

その頃泉涌寺舎利殿はどんな建物になっているのでしょうか?

韋駄天ならぬ最新鋭の舎利警備システムが足疾鬼を迎え撃つ、というSF的ストーリーを想像してしまいました。

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ともあれ明日は、1700年かけて休息した元気一杯の足疾鬼が如何にして「力尽き、心も茫々…」となってしまったのか、その顛末を頑張って演じたいと思います。

新しい足袋

私が能「舎利」のシテを勤める「五雲会」の申合がいよいよ明日になりました。

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能のシテを勤める時には、当然一番質の良い綺麗な白足袋を履きます。

私の場合は新富町の「大野屋」で誂えた足袋をシテ用に使っておりますが、毎回新しい足袋をおろす訳ではなく、1回シテで使っただけの足袋は洗ってまた次のシテに使うこともあります。

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その後その足袋は、薪能やツレの時にだけ使うようになり、やがて稽古用になっていきます。

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今回の能「舎利」では、新しい大野屋の足袋をおろそうと思っております。

これにはある理由があります。

能「舎利」では、他の曲と比べて”足の裏”がはっきりと見える可能性が高いのです。

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どこのシーンで”足の裏”が見えるのかはネタバレなので明言しませんが、前シテの最後の方とだけ申し上げておきます。

皆さま是非五雲会にいらしていただき、そのシーンを確認していただければと思います。

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宝生流五雲会

12月15日(土)正午始 於宝生能楽堂

能「和布刈」シテ小倉伸二郎

能「巻絹」シテ小林晋也

能「舎利」シテ澤田宏司

私の「舎利」と京大の「経政」

昨日のブログでも書きましたように、次の日曜日の12月16日朝10時半より、香里能楽堂にて「関西宝生流学生能楽連盟自演会」が開催されます。

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京大宝生会からは能「経政」が出るのですが、実はその前日には東京で私自身が能のシテを勤めます。

水道橋宝生能楽堂にて12月15日正午始めの「五雲会」にて、能「和布刈」、能「巻絹」に続いて私が能「舎利」を舞うのです。

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因みに京大宝生会の能と私自身がシテの能が連続してあるのは初めてではありません。

そもそも私が”初シテ”を勤めた時がそうだったのです。

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平成17年11月19日土曜日、水道橋宝生能楽堂の「五雲会」にて、私は初シテの能「忠信」を舞いました。

そしてその前日の11月18日金曜日、京都観世会館での「京都大学能と狂言の会」にて京大宝生会の能「箙」があったのです。

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私はその「箙」の後見を勤めて、無事に終わったのを見届けるとすぐに東京に戻りました。

「能と狂言の会」が終わった後には、盛大に打ち上げをするのが常なのですが、この時は有り難いことに現役や若手OBOG達は打ち上げもそこそこに皆夜行バスなどで東京に移動してくれました。

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翌日私の「忠信」を観て、その後の初シテ記念パーティを京大の「箙」の打ち上げと兼ねてやる、ということにしてくれた訳です。

おかげさまで「忠信」と「箙」の2番ともに無事に終わり、パーティは能2番分の大変な盛り上がりを見せて最終的には江古田舞台で大勢で夜を明かしました。

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今回は逆に私が、自分の「舎利」を終えて土曜日のうちに関西に移動します。

京大宝生会としては2年ぶりの能となる「経政」と、その他の仕舞や謡も含めて、良い舞台になるようにしっかりとサポートしたいと思います。

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…それにしても、初シテから13年経っても私の行動パターンはあまり変わらないのだなあと、少々可笑しくなりました。

植田竜二先輩を思いながら

今日12月10日は、京大宝生会の植田竜二先輩の一周忌でした。

私は昼間に紫明荘組の稽古、夜は京大宝生会の稽古に行って、植田先輩と縁の深い人々と1日稽古をしました。

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特に京大宝生会は、次の日曜12月16日に迫った関西宝連前の最後の稽古でした。

今度の関西宝連は、「京宝連」としては第119回を迎えます。

植田先輩が第1回目から参加されて大事に育ててくださった「京宝連」は、来春には120回の節目になる訳です。

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今年入学した1回生は植田先輩と会ったことは無いのですが、今日の稽古で聞いた1、2回生素謡「土蜘」は、シテ、頼光、ワキ、地謡ともに力のこもった大きな声で、とても良い謡でした。

植田先輩が聞かれたらきっと「今年の1、2回生、すごいねぇ!」と言ってくださったと思います。

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そして上回生中心の能「経政」も、最後の最後まで改善すべき点を頑張って稽古しました。

植田先輩に褒めていただけるように、本番までもうひと頑張りしてほしいです。

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植田先輩の命日は毎年冬の京宝連の直前にやって来るので、近づく京宝連と共に毎年必ず思い出されることでしょう。

植田さん、今年の京宝連の舞台もどうか能楽堂のどこかで見守っていてくださいませ。

月並能の「乱 和合」

今日は水道橋宝生能楽堂にて「月並能」が開催されました。

年内最後の月並能では、ここ数年では最後に能「乱」が演じられる慣わしです。

そして今日はその能「乱」が「和合」という特殊演出で演じられました。

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そもそも「乱」とは能「猩々」の特殊演出なのですが、今日はそのシテ猩々が2人登場して、”相舞”を舞ってくれました。

1人でも目出度い猩々が、2人になるとさらに目出度さが増すように見えました。

相舞もとても良く呼吸が合っていましたが、それもそのはず。

2人の猩々の演者は実の兄弟なのです。

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「乱 和合」が最後の留拍子まで無事に終わって、猩々達が橋掛りに差し掛かった時。

楽屋でモニターを見ていた私はふと横にいた楽師に「あれ、どっちがシテでどっちがツレなのかね…?」と聞いてみました。

すると…「え〜…わかりません。。」

との答えが。

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そこに偶々、数年前に能「乱 和合」を舞った先輩がいたので、同じ質問をしてみました。

ところがモニターを見ながら「え〜…どっちやったかな。。」との答えが…。

私は、「なんとなく先頭が兄で、後ろが弟だと思います!」

と断言して、2人の帰りを待ちました。

すると…

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何と先に楽屋に帰って来たのは弟の方でした。。

私から見ると、それだけ2人の猩々は全く同じ雰囲気を漂わせていたのです。

勿論”兄弟”というのが大きいとは思いますが、それ以上にやはり稽古を通して「乱 和合」という曲の全てを、お互いに共有出来た結果なのだと思います。

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なかなか出ない「乱 和合」ではありますが、いつか自分も誰かと舞ってみたいと思ったのでした。

1件のコメント

「琥珀の会」大成功でした

本日金沢県立能楽堂にて、稽古会「琥珀の会」が無事に終了いたしました。

私にとっては少々不思議な舞台でした。

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午前中に申合があり、午後から本番が始まりました。

私は見所の正面の特等席に座っています。

そして舞台ではそれぞれ稽古を重ねてきた舞囃子などが、熱いテンションで披露されています。

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ところが”披露”といっても見ているのは私、出番の無い琥珀の会メンバー、メンバーのご家族の合計4〜5名だけなのです。

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普段舞台を正面から観ることが無い私は、何とも不思議な気分になった訳です。

しかし申合を経ての本番では、メンバーによってはそれこそ必死の気合を見せてくれて予想を上回る良い舞台になりました。

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ずっと観ていた私は、「この舞台をもっと沢山の人に観てもらいたい!」

と心から思いました。

今日はまだ「琥珀の会」としては第1回目の舞台でしたが、そう遠く無い未来にはこの会がより充実して一般公開される時が来ると思います。

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その時は私は正面の特等席からは観られなくなるのですが、私にとってはその方がきっと嬉しいことなのです。

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「琥珀の会」の皆さん今回は渾身の舞台をありがとうございました。

また今回参加出来なかった若手OBOGや現役の皆さんも次回以降是非「琥珀の会」に参加して、より賑やかな舞台にしてもらいたいと思います。

ひと足100万km…!

昨夜遅くに宝生能楽堂にて能「舎利」の稽古を受けました。

稽古の最後に満次郎師より、「韋駄天とのハタラキは、もっと宇宙的な広がりを感じさせるように舞わないと。」

とご注意をいただきました。

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「舎利」の詞章によれば、シテ足疾鬼とツレ韋駄天の追いかけっこは、

欲界→色界→無色界→化天→耶摩天→他化自在天→三十三天→帝釈天→梵王天→元の下界

という風に展開されるようです。

それぞれの世界について少し調べてみたのですが、ひと言で言って「スケールが大きすぎてよくわからん」という感じでした。

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例えば「三十三天よじ登りて」という謡でシテ足疾鬼は舞台から高さ20数cm程の一畳台の上に上がります。

しかし”三十三天”とは、「80000由旬の高さの須弥山の頂上にある」そうで、ちなみに1由旬はおよそ11〜14kmだそうです。

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つまりひと足「よいしょ」と台に上がるだけで、約100万kmの高度差を駆け上がったことになるのです。

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このように足疾鬼と韋駄天が通り抜けた重層的で超巨大な天上界を、舞台と橋掛り、また舞台に置かれた一畳台を移動する中で表現しなければなりません。

しかしそのような荒唐無稽な表現は、能楽だからこそ可能なのだとも言えます。

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非常に難しいことではありますが、「宇宙的なスケール」で舞えるように頑張って稽古して参りたいと思います。

「琥珀の会」が近づいて参りました

来たる12月8日の土曜日に、石川県立能楽堂にて稽古会「琥珀の会」が催されます。

非公開の稽古会で、何度かこのブログでも書きましたように京大能楽部の若手OBOG及び一昨年ドイツに行った「ブレーメン能楽隊」のメンバーが中心となっています。

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宝生流舞囃子「箙」「紅葉狩」「龍田」「雲雀山」「邯鄲」

宝生流仕舞「兼平」

観世流仕舞「天鼓」「鵺」

独調「井筒」「杜若」

狂言「寝音曲」「文山立」

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というなかなかに盛りだくさんの内容です。

そして上記の番組には、実は私は一番も参加いたしません。

私はあくまで監督の立場で、シテも地謡も囃子も全て京大能楽部現役と若手OBOG、ブレーメン能楽隊などの”琥珀の会メンバー”が勤めるのです。

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メンバーの年齢は20〜40代と若いのですが、中にはもう20年程もお囃子の稽古を続けているベテランもいます。

そして一方で、稽古を始めて2〜3年の若手もいます。

京大宝生会ではここ最近お囃子の稽古を始める学生が激増しており、「琥珀の会」のような機会にベテランの先輩達と交流してどんどん経験値を上げてもらいたいものです。

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5番の舞囃子は先週土曜日の稽古の数時間でほぼ仕上がりに近い状態になりました。

あとは当日の午前中に申合をして、午後から本番になります。

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週間天気予報では土曜日の金沢は雪マークです。

私は朝一番のサンダーバードで京都から向かうので若干心配ではありますが、雪の寒さに負けないような熱い稽古会にしたいと思います。

最後の巡回公演

今日はまた川崎市の小学校での巡回公演に出演して参りました。

今回の巡回公演シリーズでの私の出番は今日で最後になります。

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いつものように能「黒塚」までが無事に終わり、質問コーナーになりました。

シテの宝生和英家元が再び舞台に登場して、子供達からの質問に答えるのです。

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「お能は好きですか?」

といった無邪気ながら中々難しい質問にも、ユーモアを交えながら真摯に答えておられるのが印象的でした。

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今回が最後なので、帰り際に影向社の方に挨拶をしに行きました。

そして今年の巡回公演シリーズで延べ何人くらいの子供達が観てくれたのか聞いてみました。すると、

「今回20数校で公演を行ったので、1校あたり500人として延べ1万人以上になります」

と言われてびっくりしました。

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私はそのうちの7回に参加したので、それでも3000人くらいの子供達に観てもらったことになります。

そして一連の公演を経験して、子供達の記憶のどこかに”能楽”というものが刻まれたという確かな手応えを感じました。

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帰りのバスで小学校を出発する時、ちょうど下校する小学生達が校門のところに出て来ました。

そしてみんな我々のバスに向かって手を振ってくれたのです。

最後まで温かい気持ちで巡回公演を終えることができました。

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また次の機会があれば、どこかの学校のまだ会ったことの無い子供達に、楽しい記憶として能楽が残るように頑張りたいと思います。

とても尊い経験になった巡回公演シリーズでした。

影向社の皆様始め関係者の方々に心より御礼申し上げます。