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大原から加古川へ

今日は朝に大原の京大宝生会合宿所を出て、加古川能に向かいました。

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霧のような細かい雨に煙る大原の里は、それはそれで風情があるなあと思いながら、京都バスで国際会館駅へ。

そこから地下鉄で京都駅に出て、更に姫路行きのJR新快速に乗り換えました。

あとは加古川まで1時間半弱、謡を覚える時間です。

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神戸を過ぎると、普段はあまり通ることのない地域に入っていきます。

私は新快速の進行方向右側の山手の席に座っていました。

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謡本からふと目を上げて右手の車窓を見ると、松の木が立ち並ぶ公園の景色が目に入りました。

そして何故かその景色には見覚えがありました。

ずっと昔に来たような…

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思い出しました。

あれは京大宝生会で能「箙」が出た時のことです。もう10数年前になります。

「箙ツアー」を企画して、何人かの部員で”一ノ谷”を訪れたことがありました。

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確かその時に「須磨浦公園」という所にも行って、それがこの車窓の景色だと思われ…

と、そこでハッと気づいて私は左側の車窓を振り返りました。

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窓の外には、須磨の浦がゆったりと広がっていたのです。

海は東海道新幹線で熱海の辺りを通る度に見ている筈なのに、何故かとても久しぶりに海というものを見る心地がして、静かに感動しました。

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更に新快速は進んでいきます。

今度は前方に巨大な橋が見えて来ました。

「明石海峡大橋」のようです。

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能「草紙洗」で紀貫之が詠み上げる和歌

「ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れゆく 舟をしぞ思ふ」

が頭に浮かんできました。

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しかし車窓には圧倒的な迫力の明石海峡大橋が、淡路島に向けて「ドドーン」という感じで伸びています。

和歌に詠まれた明石の浦の風情は、とうの昔に無くなってしまったようでした。

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仕事とは言え、今日の大原から加古川への移動は何か”旅情”のようなものを感じてとても心地よいものでした。

海の良い写真が撮れたらもっと良かったのですが、天気もあって中々難しかったです。


本当はもっと青く、のたりのたりとした「春の海」でした。

京大春合宿2019・その2

昨日は京大宝生会の春合宿初日でした。

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私は21時頃に仕舞の稽古を終えてから風呂に入りました。

風呂から出て「ヤヲハの間」で布団を敷いたり荷物の整理をしていると、まだ合宿所のそこら中から鸚鵡返しの声が聞こえてきます。

「まだ初日だから、皆元気だなぁ」と思いながら聴いていましたが、昨日は何と23時頃になっても全く同じ状況で皆稽古を続けていました。

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そして23時過ぎ頃にようやく稽古が一段落すると、今度は新3、4回生が集まって話し合いを始めました。

どうやら春以降の舞台の地割を決める会議のようで、これが日が変わる頃まで続きました。

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その間に新2回生数名は、パソコンを開いて何やら作業をしています。

聞くと新歓に使うポスターを作るために、観世会金剛会狂言会と宝生会のそれぞれの舞台の写真をPCソフトを駆使して合成して、そこに「能楽部」などの文字を書き込んでいく作業だそうで、こちらも深夜まで続いていました。

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そして今朝にはまた合宿所に鸚鵡返しの大きな声が昨夜と同じように響いていたのでした。

毎度のことながら、現役達は稽古と宝生会運営などの仕事を両方とも本当に一生懸命にやっていて頭が下がります。

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今は合宿2日目の22時前です。

昨日と全く同じようにそこら中から稽古の声が聞こえております。

今の努力はきっと新学期に実を結んで、京大宝生会はまだ見ぬ新入生を加えて一層元気に京宝連や全宝連の舞台に突入していくのでしょう。

京大春合宿2019

今日は京大宝生会の春合宿でいつもの京都大原の民宿にやって参りました。

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4回生はもうOB枠なので、人数的にはちょっと少ないかと思っておりました。

しかし蓋を開けてみると今回は舞囃子が「船弁慶」「春日龍神」「雲雀山」の3番と、更に半能「高砂」もあって、中々密度の濃い稽古になりました。

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因みに舞の稽古は民宿離れの大広間でやっておりますが、この大広間が真ん中で仕切られており、その”鴨居”がちょっと低いのです。

身長172cmの私でも、背伸びすると頭がつくくらいの高さです。

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そして、舞囃子「春日龍神」のシテY君は、身長が190cm以上あります。

スピーディな展開の「春日龍神」を稽古していると、Y君は鴨居の下を通過する度にヒョイヒョイと頭を器用に下げて鴨居をかわして行きます。

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しかし、キリの「明恵上人、さて入唐は…」

でワキ座から後ろ向きに素早く下がって常座で飛び返りする所では、さすがに思わず「危ない!」と言いそうになりました。

ところがY君は、後ろに目があるかのように鴨居を避けて下がっていったのです。

彼曰く「稽古の時は集中しているからか、これまで一度も頭をぶつけたことはありません」

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おお、それはすごいと思ったところで、

「でも、夜に宴会している時はよくぶつけますね…」

成る程。酔って春日龍神を舞わないようにしないといけないですね。。

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という感じで、今回も色々面白いエピソードを重ねつつ春合宿は進んで行きます。

続きはまた明日。

澤風会、月並能、そしてその後…

昨日はおかげさまで澤風会郁雲会大会を無事に終えることが出来ました。

お世話になりました皆様、改めまして誠にありがとうございました。

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明けて今日は水道橋宝生能楽堂にて「月並能」が開催されました。

私は能「春日龍神」の地謡でした。

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無事に謡い終わって用事でロビーに行くと、昨日出演してくださった京大OBの先輩と、やはり昨日出演してくれた京大宝生会現役の何人かに会いました。

現役達は、来たる5月25日(土)に京都大江能楽堂にて開催の「第120回記念京都宝生流学生能楽連盟自演会」において舞囃子「春日龍神」を出すことになっているのです。

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澤風会の後に1泊して、能「春日龍神」を観て勉強してから京都に帰るということなのでしょう。

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私は「月並能」の終了後に、3月24日開催の「別会能」で演じられる能「安宅 延年之舞」の稽古に参加いたしました。

ツレの”同行山伏”を勤めることになっているのです。

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昨日の会のことをゆっくり思い出してブログに書いたりしたいのですが、早くも次の舞台に向けて私も周りも動き出しています。

また少し落ち着いてから昨日の模様を書いてみたいと思います。

第6回東京澤風会・郁雲会大会御礼

本日おかげさまで「第6回東京澤風会・郁雲会大会」が無事に終了いたしました。

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朝からお世話になりました先生方、京都や松本などご遠方から来てくださった方々、いつもながら大勢でご参加くださいました京大宝生OB会の先輩方、そして郁雲会と東京澤風会の会員の皆様誠にありがとうございました。

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また今回も本当に沢山のお客様にいらしていただき、見所が終日にわたり賑やかで有り難い限りでした。

渋谷セルリアン能楽堂は久しぶりに使わせていただきましたが、スタッフの皆様に何かと親切にしていただいて、運営をとてもスムーズに進めることが出来ました。

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今は御礼の言葉だけが浮かんで参ります。

今日の舞台を終えられた会員の皆様は、先ずはゆっくりお休みくださいませ。

そしてまた疲れが取れましたら、次の舞台に向けて動き出しましょう。

まだこれから遠く京都や松本まで帰られる皆さんは、どうかくれぐれもお気をつけて。

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全ての皆様のおかげさまで、今回も熱量のある舞台になったと感じております。

今日の舞台で生まれた熱がまた次の舞台に繋がっていくように、明日からまた頑張って参りたいと思います。

仕舞や舞囃子は能の一部だということ

来たる3月9日に開催の「第6回東京澤風会・郁雲会大会」では、京都から京大宝生会の現役と若手OBOGがたくさん出演してくれます。

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その中で、若手OBの舞囃子「東北」と現役の仕舞「国栖」は、たまたま先週の七宝会で出た能「東北」と能「国栖」と同じ曲目です。

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舞囃子「東北」を舞う若手OBと、仕舞「国栖」を舞う現役達は、共に七宝会を観に来てくれました。

そして昨日は昼間の紫明荘組稽古と夜の京大稽古で、その「東北」と「国栖」の稽古をしたのです。

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まず紫明荘稽古での舞囃子「東北」を見て驚きました。

前回とは全く次元が違う程良くなっていたのです。

本三番目物の位になっていました。

待ち合いの部屋でお茶を飲んで話していた会員さん達の目が、いつか自然に「東北」に吸い寄せられていき、静けさの中で稽古が進んでいきました。

そして稽古が終わるとまた自然に拍手が起こりました。

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シテである若手OBのT君は、七宝会で能「東北」を観て、その位取りを理解して自分の舞囃子に反映させたのでしょう。

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その後夕方に京大稽古に移動して、今度は仕舞「国栖」でまた驚きました。

シテの謡の声が何だか前回よりも格段に大きくなって、全体的に勢いが増していたのです。

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これもおそらく七宝会で能「国栖」を観たイメージを謡と舞に投影させたのでしょう。

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仕舞や舞囃子だけを稽古しても、もちろん上達はします。

しかし、それらは元々はある能の一部なのです。

その元になっている能を観て、全体像を把握してから稽古するのはやはり大切なことなのだと、昨日の「東北」と「国栖」の稽古で改めて思ったのでした。

3億4000万km先の竜宮城

今朝のニュースで探査機「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への着陸に成功したというのを読み、実に感慨深い気持ちになりました。

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というのも、先代の「はやぶさ」が2010年に、満身創痍の苦しい旅路の末に地球に帰って来たニュースで感動した事を思い出したからです。

大気圏に突入して寿命を終える直前の「はやぶさ」が撮影したという、半分かすれたような地球の写真をその時見ました。

JAXAのスタッフが、「はやぶさ」に最後に地球の姿を見せてあげたいという気持ちで撮影させたのだと聞いて、なんだか涙が出ました。

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そしてその「はやぶさ」の経験を活かして作られた後継機「はやぶさ2」が、2014年暮れに打ち上げられたのです。

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今から4年と少し前。

例えば京大宝生会で今年卒業を迎える学年が、まだ京大を目指して受験勉強をしていた頃です。

それからの4年間に、地球全体でも私の周りでも色々様々なことがありました。

沢山の人と新しく出会い、いくつかの別れもありました。

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その間に「はやぶさ2」は遥か3億4000万㎞の飛行を続けていて、そして日本時間の今朝にその目標地点である「リュウグウ」にたどり着いたというのです。

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能楽における「竜宮」は、「面向不背の珠」とか「獅子丸」という琵琶の名器などの宝物があり、それらが守護神によって厳重に護られているちょっと怖い場所、というイメージです。

能「海人」のシテ海人は、命懸けで竜宮に赴いて「面向不背の珠」をとって地上に還ります。

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今回「はやぶさ2」は小惑星「リュウグウ」の地表から、土砂などのサンプルを持ち帰ってくる予定だそうです。

そして今朝の着陸後にそのミッションの成果を尋ねられたJAXAの方の返答がふるっていました。

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「成果は玉手箱なので、地球に帰って開けてみるまでわかりません」

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「はやぶさ2」が命懸けの旅路の末に地球に還って来るのは、2020年の暮れになるそうです。

それまでの間に地球全体でも私の周りでも、また沢山の出来事があるのでしょう。

その間にまた遥かな旅路を辿って故郷を目指す「はやぶさ2」。

その帰還のニュースを聞いたら、またきっと私は深い感慨に包まれることでしょう。

彼の旅の無事を祈りつつ。

蘇る京大OB謡会の思い出

昨日は夕方から京大宝生会の稽古に行きました。

そこで部長より、「関西京都大学宝生OB謡会の歩み」という大判の本をもらいました。

吉本正春先輩始め関西のOBの方々が中心となって製作出版された力作です。


世代や大学を越えたたくさんの人たちの文章が掲載されており、帰りの新幹線ではとても読み切れないボリュームでした。

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色々懐かしく、また面白く頁をめくっていたのですが、中で特に心を動かされた箇所がありました。

1986年から2018年までの月例謡会の詳細な記録です。

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今私の手元には、月例OB謡会で坪光先生の鸚鵡返しを受けた時の「野宮」の謡本があります。

まだ現役だった私がOB会にお邪魔して、少々背伸びしてこの難曲の稽古を受けたのです。

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この「野宮」の鸚鵡返しは、数ある坪光先生の稽古の中でも特に心に残っているものでした。

冒頭のワキの謡の位取りからして、現役の京大宝生会として習ってきた謡とは全く次元の違う謡だったのです。

このような深い味わいのある世界もあるのかと、内心非常に興奮しながら鸚鵡返しを受けた記憶があります。

この深淵のような謡の世界に、もっとのめり込んでいきたいと初めて心から思った稽古でした。

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その、ある意味で私のターニングポイントになった「野宮」鸚鵡返しの日時、場所、参加者が、”月例謡会の記録”に詳細に記されていたのです。

1991年10月19日、場所は合宿で使ったこともある妙蓮寺。

13時〜17時の間に、徳永先輩、米澤先輩、新妻先輩、吉本先輩、正木先輩、中村先輩と共に、私と、同期の高桑さんが「野宮」の鸚鵡返しを受けたと記録にあります。

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年次を見ると、私は2回生の後半だったようです。確かにその頃ならば、まだ難しい謡はそれ程習っていなかったのでしょう。

そしてまだ能楽師になりたいなどとは露ほども思っていなかった筈です。

しかしもしかすると、この「野宮」の後にそんな気持ちが少し芽生えたのかもしれません。

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忘れかけていた微かな、けれど大切な記憶を、この本のおかげで思い出すことが出来ました。

ゆっくり読むと、きっとまだ色々な発見や驚きがありそうな本です。

関西OBの皆様素晴らしい本をどうもありがとうございます。

美也子さんのこと

辰巳孝先生の妹にあたられる辰巳美也子様が先日亡くなられ、今日大阪での告別式に参列して参りました。

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失礼ながら生前のように”美也子さん”と書かせていただきます。

美也子さんに初めてお会いしたのは、香里能楽堂で開催される「七宝会」の受付をお手伝いした時でした。

当時私は京大2回生だったと思います。

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世間の常識など殆ど何も知らない私に、受付業務だけでなくマナーなど色々なことを教えてくださいました。

優しくも厳しい、そして頭が切れてユーモアのセンスのある方だと思いました。

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時は少し流れて、私が能楽の道を志した頃のこと。

東京芸大を受験する前の1年間、私は辰巳孝先生の鞄持ちとして、色々な稽古場にご一緒させていただきました。

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午前中に香里園末広町の御宅に伺い、そこから辰巳孝先生のお供をして電車か車で関西各地の稽古場に向かいます。

そして夕方か夜に稽古が終わると、また末広町の御宅まで先生と一緒に帰りました。

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御宅では美也子さんが自慢の料理の腕をふるって、美味しい出汁巻きや海老フライなどの晩御飯を作って待っていてくださいました。

私もご相伴にあずかり、時には居間のコタツで芸大の楽典の勉強などをさせていただいてから京都に戻る、という日々を過ごしました。

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あの1年間、辰巳先生と美也子さんは私のことをまるで家族のように可愛がってくださいました。

もちろん時には美也子さんから「澤田さん!あなたこんな事も知らへんの!」と叱られることもありました。。

今では全て懐かしい思い出です。

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今頃は天上で辰巳孝先生と再会されているのでしょうか。

あのお2人のウィットに富んだ掛け合いがきっと繰り広げられていることでしょう。

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辰巳美也子様のご冥福を心よりお祈りいたします。

飽くなき向上心

昨日は国立能楽堂での「若手能」の後に、「京大宝生東京OB会」の新年会に参加しました。

と言っても、舞台は終わった後で、私は宴会だけの参加でした。

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宴会が盛り上がってきた頃に、20人ほどの大ベテランの京大宝生会OBの皆さんが、それぞれ近況や今年の抱負などを述べられました。

「今年は地拍子を本格的に勉強したい」

「私は謡本に自分で地拍子の○△を書き入れて勉強した。それをお薦めします」

などと、大ベテランでありながら向上心に溢れるコメントが多くて流石京大宝生会OB会だと思いました。

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一夜明けて、今日は京都紫明荘組稽古でした。

久しぶりに日曜日に設定したところ、京大宝生会の2〜30代の若手OBOGが次から次へと大勢やって来てくれました。

稽古終了時間ギリギリまで、結局9人の若手OBOGを稽古しました。

素謡「舎利」、舞囃子「東北」を始め、たくさんの仕舞や舞囃子地謡など中身の濃い稽古になりました。

それぞれ忙しい仕事や大学の合間を縫って、難しい曲に挑戦しています。

若手OBOGの向上心もまた眼を見張るものがありました。

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3月9日の東京澤風会では、昨日の大ベテランOBの皆様、そして今日京都で稽古した若手OBOGの面々、さらに現役部員達と、京大宝生会がセルリアン能楽堂に勢揃いします。

それぞれの世代の舞台が今からとても楽しみになってまいりました。